Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

幻滅

今日はまだ頭が良く回らない。風の噂によると決勝の結果はとても残念なもので大会の成功に水を差しかねないものとなったようだ。夜改めてビデオを見るきになるだろうか。
さて、過日観たスーパーサッカーで中村選手のインタビューが出ていた。まぁ戦犯扱いされ、ブラジル戦の終戦後インタビューで頬はこけやつれ言葉を詰まらせ中西に涙を流させた一方、写真週刊誌では早すぎる温泉慰安旅行の予約まで書かれた俊輔。深く深く傷付き体力的にもまだまだ苦しいこの時期さまざまなしがらみの中TBSのインタビューを受けるのは難しかったことだろう。
話の内容は要約すると

  • 体調、熱が夜は高く、昼間は下がる。ウイルス性の風邪にかかっていた。
  • 決してコンディションが良くなく、ジーコへ交替を申し出たことがある。
  • しかし「試合を読む力」?があるから使い続ける。批判は監督の責任で受け止める、と。
  • オーストラリア戦でのボール際の強さ、連携?
  • オシム監督については本は読んだ。「走る」だけじゃなく「考える」こともありなんで安心した。
  • 中田引退は全く知らなかった。憧れていただけに残念(若干違うかもしれん)。

選手として中村俊輔自身今までの集大成との意気込みで大会に備えたはずで、そこで風邪を引くのは本人自らが尤も悔しいのは明らかなので言うまい。しかしそれが分っていながら出られないことを知っている周りの選手はどういう気持ちだったのか?選手の体調が悪いのに試合に使い続けるのはこれが初めてではない。38度の熱が出たまま使われ続けた選手が何人もいる。ジーコ監督は選手を100%信頼し頑なに使い続けるのは良い。でも体調の万全でない選手を使うのはどうか?結果の残せない本人はもとより、その交代要員である選手は替わることの無い先発に諦め試合に出る準備を怠りはしないだろうか。ジーコは『べき論』なのだろう。彼はプロフェッショナリズムを謳い選手に求める。そして彼がプロとして認めた選手を選ぶ。先発出場する選手はプロだ。プロは当然ながら試合に常にトップコンディションで臨むし、全力を尽くす。例え控え選手だろうとプロは常に出場を待ち準備を怠らない。プロとはこうあるべきなのだ。
しかし実際はそうではなかった。固定化された出場選手と途中出場もトラブルがなければ限られた数人の中から選択されるだけ。練習試合でセカンドチームが勝っても選手の移動はない。少なくとも選手選考で召集されていれば変更は殆どない。23名のうち、先発しない12名の気持ちはどうだったんだろうか?
ジーコ日本は発足当時は海外組、国内組というマスコミ的に晴れやかな色分けがされた。時間を経るごとにその色分けは薄まり融合が図られたわけだが、終始一貫ジーコファミリー内での序列による明確な違いは残ったままだった。それは「決して」と思えるような替わりようの無い序列。チームとしての一体感が無かったのはこのあたりなのだと思う。
中村自身には同情したい気持ちがする。トルシエのエキセントリックなパーソナリティに翻弄され(しかし彼は一方戦術、選手評価としては冷徹な判断も同時にあった)努力を重ねながらも結果的には選手選考から漏れ悔しい思いを胸に抱き、ジーコからは今では寵愛ともとれるような待遇で向かい入れられその期待に今までは答えてきた。しかし尤も大切な結果がこれだ。
監督が責任を取ると言っても最大の責任の取り方である辞任がすでに決まっていた時点では空手形と言われても仕方あるまい。やはりチームマネジメントに失敗していたと言わざるを得ない。
23名プラス久保、田中、松田ら招集されたメンバーのインタビューを読みたいと思う。