Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

バラバラ殺人

午前中は結局家でグダグダしてしまい、仕事は午後からになった。朝昼の情報番組は年末から殺人事件の話題を引っ張り続けている。特に代々木警察署管轄で発生した2件の事件が中心だ。そんななか学校の先生が生徒の股間をまさぐって口封じに千円を渡していたなんて話題はほほえましいというかなんというか。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/soci/200701/14/soci201558.html
閑話休題
所謂「勝ち組」と思わしき人々の、当然ながら、らしからぬ惨状に幸せというものの難しさを感じ、もっと下世話に言えば落ちてくる人々に対して溜飲を下げるということがあるのだろう。
今朝など白百合女子大学(容疑者である妻の出身校)の出身者へのインタビューなど事件と何ら関係無さそうな、空振り三振企画を強引に流していた。
多少なりとも被疑者、そして被害者への憎悪や共感を煽らんがための話題を探し、作り出しているように感じる。しかし一方ではそのような話題で引っ張りたくなることもわからないではない。今回のような境遇、家庭環境、DVは特別なこととは思わない。歯科医師の件では現在極ありふれた状況といっても良いのではないか。医師をはじめとした国家試験をもって開業したものの世襲は極々普通だし、そういった環境でなくては生業としてはじめるのが非常に難しい。外資系証券会社(っていわれて真っ先に思いつく会社だったのがオカシイ)の件は確かに収入は高く、今を表してはいるが仮面夫婦としてお互いにパートナーを持ち割切っている夫婦も別段珍しくはない。善し悪しは別にして。
そういった部分に話題を振りがちなのは、その中で生まれた殺意の実行結果があまりに触れ難いものだからではないかな。大なり小なり家族、妹、夫に殺意を持つことはある。それは愛情を持つのと同時であったりする。前者の場合、その愛情の意味が難しいと思うが。直接的には発作的に殺害をしてしまうことは特段特別な事象とは思えない。問題はそのあとの遺体損壊、バラバラに解体するという行為だと思う。今迄だって幾らでもあったし、人骨をラーメンに入れて売っていたなんているのさえあった。暴力団は身内を結束し相手への見せしめとして遺体をバラバラにし力を誇示した。古く戦のなかで敵将の生首をさらすのは極普通だった。その行為は残虐で人々をまざまざと恐怖で打ち負かし戦意を落とす効果が絶大だったのである。しかしここ数件のバラバラ事件ではその意味、禁忌感は少なく軽々と乗り越えてしまっているように思える。そこには何があったのだろう?殺意を作り出した背景は認めたくは無いものの理解は出来そうなストーリーを作ることに汲々としているように思える。卒業文集や同級生に人となりを聞いても出てこない何かがあるのではないか。その裏に、遺体をいとも簡単に解体せしむるモノが横たわっているのではないか。
バラバラ殺人事件をみるといつも思い出すものがある。大友克洋の短編である。安アパートで殺害した遺体を解体し冷蔵庫に保存しておく話だが、はじめて読んだ当時(確か中学生)でもブラックジョークとしてぎりぎり成り立っていた。今はもうジョークでは済まされないだろう。