Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

なんとなく漂う悪意の根源

今更ながら感、いっぱいなのですが、こそっと(チキンなんで)触れておきたい。
話題の対談(らしきもの、噛み合っていないようなので)、勝間和代氏vs西村博之についてです。下記ブログが自分には一番しっくりするのでした。
「勝間和代vsひろゆき」討論はとても大切なことを世に問うている - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
特に下記部分です。

通常、マスコミに出るような人は、ほとんどの場合『正義』と『正義』をぶつけ合っているため、このような感情を抱くことは稀だが、にしむら氏のような人が出てくると、時に非常に鮮明にこれを意識させられる。

ここが響きました。ここ数年マスコミに対する、特にネチズン?の厳しい態度、姿勢の根源はこの辺りがあると思うのです。正義、正論を振りかざす者への良い知れぬ違和感と憎悪のような悪意。正義、正論はその立場が揺ぎ無い以上、それを前提としている限り批判の対象とはなり難い。しかしながらその実、どういった行動なのか怪しさも感じ取っている。そして少しずつ実態が明らかになりその矛盾が透けて見えている。いやそのような空気が特にネット上では横溢しつつある。この点は本論の対象である勝間氏からは飛躍しつつある部分もありますが、しかしその実近いところもあるような。