Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

エチカの鏡

本格的な休み明けのためか、駐輪場、駅、電車中と混んでいた。今日は下のお嬢が午前7時に練習に出かけたため早めに起きていつもより少し早く駅に着く。そのお陰か電車中ではほどなく座ることが出来てひと眠り出来た。
昨晩は普段は見ないフジテレビのエチカの鏡をみた。たちばな保育園という天才を育てるらしい保育園を1年に渡って取材したものだった。全くの偶然だがこのたちばな保育園の話は以前も視聴したことがあった。
今回は3月の卒園式を迎えるにあたり、恒例行事らしい学習発表会を追ったものだった。学習発表会といっても実際はお遊戯発表会で、飛び箱や逆立ち歩きなど子どもにとってはアクロバチックなことをするものとなっていた。これらの“課題”に対して目標を乗り越えていく過程をカメラは写す。小学校入学前の小さな子どもたちの頑張りに、そして卒園式に涙ながらに親への感謝の気持ちを発表する姿に涙腺は緩みがちになる。ビデオをスタジオには同世代の子どもを持つタレントを揃え涙を映し出す。
ただどうもしっくりこない。子どもの成長をみることは純粋な喜びに繋がっている。誰の子でもない、自分の子どもが成長していく姿は極わずかな不幸な例外を除けば、自らの幸せに繋がるものだし、それが子育てをし、自己犠牲もいとわないことの源泉となっている、と思う。だけれどもこの幼い子どもの2年、3年の間にこのような濃密な時間を過ごしたことが、その後良かったのかどうかと思うことがある。どうも自分の嗅覚では、キツイ言い方をすれば自己啓発セミナー、緩めに言えば勝間和代氏の方向性を感じ取ってしまうのだった。
このような保育園は自分の周りにも少なからずある。流石にここまで突き詰めた指導、教育はなかなかないが幼少期からの教育に力を入れてそれを成果として大々的に発表しているところはある。それでもここまでのところは聞いたことがない。なんでも突き詰めて成し得た人は凄い、という意味において、この保育園は凄いとは思う。嫁さんは幼稚園で働いているのだが、まず園児のレベルが高いこと、幼稚園と違い保育時間が長いことから真似るようなことは考えられないという。
園児のレベルだが、これはどちらかというと嫁さんの幼稚園が特殊な面もある。そこでは療育が必要な子どもが多くマンツーマンで付き添っている子も多いのだ。それでもこの保育園の園児は2年、3年の成長はあるにせよレベルが高いという。卒園式で両親に向けて作文を書き感謝の気持ちを発表する場面で、自分の書いていることを理解しているのが凄いというのだ。普通の幼稚園ではこうはなかなかいかない。成長がそれぞれまちまちな中でませた子もいれば赤ちゃんが抜けきらない子もいる。そして多少なりとも障碍のある子もいる。まず親から離すことが難しかったりするわけだ。その中であのような発表会、卒園式を行うことは限りなく難しいというのだ。
この番組で不思議なのはタモリがメーンパーソナリティということ。彼はこういったことに非常に嗅覚が鋭く一方的な上昇志向に背を向けて来た人だと思うのだが、どう感じているのだろう。2年、3年の魔法にかかったような成功体験の後に直面する世界に子どもたちはどう対応していくのだろう。失敗を恐れず、挫けない心のみを持った子どもたちのその後は魔法のない世界でどうなっていくのだろう。果てのない心配をしてしまうのだった。