Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末備忘録

何かここ数日はあっという間に過ぎ去ってしまった。
24日
父の病状急変。母と嫁さんとぼくが急きょ病院に呼ばれる。左肺も肺炎に罹患。抗生物質を点滴投与。酸素飽和度が下がり危険な状態になり、4人部屋から一人部屋に移動。食事はおろか水もむせてしまう可能性があり飲むことはしばらく控えることになる。しかし一方で多量の痰が出ており、血が混じる。お嬢たちを呼び寄せる。ぼくと嫁さんは23時で一旦帰宅。母は朝まで付き添い。
25日
朝、付き添いの母に替わり7時前に病院へ。母を一旦帰宅させる。朝の回診で小康状態とのことで一安心。仕事に出かけることにした。酷い通勤ラッシュでげんなりするも何とか仕事場に行く。フレックスタイムで退社。そのまま病院へ行く。午後の回診に間に合い小康状態を確認。少し水を飲んでも良いとのことで口を水でうがいさせる。多量の血の混じった痰。意識もしっかりして酸素飽和度が安定していたので病室を出てその足で実家の母を様子を見に行く。介護士との面談を設定してくれるように頼む。
6時半過ぎ、輪転停電。ろうそくの灯す火での夕食(お嬢がカレーライスを作ってくれた)も悪くない。
26日
朝、病院へ。状況は変わらず小康状態。帰宅後母に電話し介護士との面談時間を聞くも、連絡してくれず。早急に連絡を取るよう強く言う。昼過ぎ母から電話。28日に面談をする、しないで口論。母は自宅で介護はしたくないので、介護士との面談もしたくないのが本音。その後連絡とれなくなる。午後は嫁さんが病院に詰めていてくれるのでその間にジョギングに出かける。寒さが厳しい。春の気配が消し飛んでしまう。ジョギングで戻るも母とは連絡とれず。病院に行くと父には云っていたものの病院にも来ず。介護士との連絡を嫁さんが付けてくれるも時間が決まらず困惑。ジョギングで冷えた体のまま実家に様子を見に行く。しかし母は不在でその足で病院に行く。やはり母は病院にも来ておらず。一足先に病院を出た嫁さんが自宅から母に電話してやっと繋がる。出かけて気分晴らしをしていたらしい。ぼくも病院を出て帰宅、やっとシャワーを浴びる。9時前病院から電話。父が点滴を抜くなど"訳の分からない”ことを言っているので付き添いしてほしいとのこと。看護師も事情は察知してくれているらしく母には連絡しなかったようだ。急きょ病院に向かう。取り敢えず朝まで頑張るしかない。父自体は酸素飽和度が下がっていたものの意識ははっきりしていて会話は出来る。酸素吸入器を強化したものに変えて様子をみることになった。父は自ら否定したが自死を試みたのかもしれない。別れの言葉を長々といわれて聞いている方も辛い。しばらくして父はうとうとしだした。時折り酸素マスクを外してしまうのでそれを見張りするのが役目。4時から5時辺りはぼくも眠ったか。7時過ぎ当直の医師に挨拶をして帰宅。ビールで睡眠導入剤のカクテルで眠る。
27日
13時やっと目が覚める。10時ごろ義父が訪れたらしいが全く気がつかず。午前は嫁さんが病院へ行ってくれた。病院には事情を知らない母が来たとのこと。気分転換に外食。湘南モールフィルフレッシュネスバーガーに行く。これは一緒に連れたお嬢の案。買い物をしてその足で実家の母に会いに行く。母に昨晩の状況を話したが、やはり介護はしたくないらしい。帰宅後大分落ち着いて来たらしいガソリン、灯油を補給しに出かける。道すがら覗いたコンビニ、スーパーマーケットは豊富に商品が陳列されており、ガソリンスタンドも待ち無しで給油出来た。神奈川で物流は回復したのだろう。怯えることは無いのだ。
昨晩のこともあり、病院に行って父の様子をみる。小康状態で昨日のようなことはしないと話していたので信じて8時過ぎ帰宅。しかしながら何時でも病院に行けるよう準備をしつつ、就寝。明日の仕事に備える。

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