Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末徒然

22日、金曜日。夕方早退し、自転車で実家へ。介護保険の訪問調査に立ち会うためだ。調査員は自分より若い女性。電話連絡を取っていた人。当たり障りの無い話で調査が始まる。幾つか母の記憶違いと思われる部分、補足説明を加える。しかし母はやはり何故自分が保険申請するのか納得していない様子。私は呆けているんですかと3度聴く。調査員は調査をするだけで判断は医師の診断書と総合的に判断されるのは散々説明したのだが理解して貰えない徒労感。仕舞に母は寂しいと泣き出してしまう。
ほんの40分ほどの調査だが、終わるとぐったりしてしまう。母をなだめ涙が引いたところで家を後にする。そのまま帰宅するのは躊躇われ、マクドナルドでコーヒー飲んで休憩。
帰宅するとお嬢の模擬面談の最中であった。明日は大切な残り少ない試験の日。
23日、土曜日。
お嬢受験日。残り少ない可能性に掛ける。頑張れ。見送ってまた布団。午前診察なので何とか起きるが珈琲を飲みに向かったマクドナルドが機材のトラブルとのことで入れず。珈琲無料券を渡され仕方なく予約時間より早く病院へ。
かなり混んでいる。予約の定刻より30分ほど遅れて診察室へ。
この4週間のことを話したが何処まで通じたかわからない。ポイントとしては介護保険申請のいきさつと訪問調査。その他お嬢の大学受験がままならないこと、仕事の組織変更の影響など不安でいっぱいであること。毎日ギリギリな感じと伝える。処方は変わらず。ただお守り代わりにリーゼを1シート追加してもらった。次回は2週後か悩んだが4週後となった。吉と出るか凶と出るか分からない。帰宅してみると既にお嬢は受験から帰って来ていた。結果の手ごたえは良く分からないらしい。これまでも自信があったものでも不合格になってしまっていたので仕方ない。
ジョギング。実家の母の様子と、地域包括支援センターに報告をしに行くこととした。午前は雲が広がり寒々とした冬の空だったが、徐々に陽射しが射しこんできていた。母は丁度買い物に出かける直前で数分遅れれば会えなかったかもしれない。ほんの数分立ち話だけして自転車に乗って出かける母を見送る。未だ躯は調子良さそうなのが救いだろうか。
地域包括支援センターは所長さんひとり。昨日の訪問調査の内容を報告。結果はひと月後を目処に出るとのこと。その結果はセンターには届かないそうでこちらで母が結果を受け取ってから連絡を入れることになるという。また、ここでは要支援1、2のみを対応するもので、要介護判定が出ると介護ケアマネになるということだった。そういえば父の時もそんな話があったのを思い出す。その後はジョギング再開。トータルで12kmほど走る。途中義父宅に寄るが不在。2月中3回目か。忙しそうだ。
夜、焼酎が無くなりリカーショップへ寒い中自転車で行く。久しぶりに一升瓶で購入。
24日、日曜日。嫁さんは朝から美容院に出かける。この日はお嬢の受験結果が出る日でそれを待って早起きしたのかと思ったがそうでは無かったらしい。寒さで自分はもう少し寝ていたかったが起きる。昼前義父宅に行く直前になって速達郵便が届く。合格だった。本人は志望大学では無かったのだがなんとかまず一つは決まった。心底ホッとしたのが正直な気持ち。無論本人もだろう。
嬉しい知らせを持って義父宅へ。義父には母の介護保険申請の話をした。母は知られたくないと思ったが、父には伝えておくべきことだと考えたからだ。驚いてはいたが今後のこともあり、伝えて良かったように思う。
帰宅すると嫁さんは美容院から戻っていた。一様に安どした感じ。昼食はナポリタン。
その後ジョギングをしたかったが止められる。疲労を残さないことと釘をさされたのだ。ヨドバシカメラに覗きに行きたかったこともあり横浜まで出ることにして献血をする。そこで献血のトラブルになってしまい痛い目にあうことになる。
帰宅し、母の様子をみに実家へ。腕は自転車のハンドルを握ると軽く痛んだが気にせず行く。母はまずまず元気で安心した。
今週は何とか無事に過ごしたいものだ。