Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

母の様子を見に行く、バー

想うところあり、仕事はほぼ残業せず帰宅の途に就く。
実家の母の様子を見に行くためだ。ある著名人のブログに姥捨て山の話が出ていた。大元の話は日経のメルマガに記載されていた姥捨て山のストーリーには二種類あるということだった。
話は、いろんなストーリーがあるけれど、代表的なものは二つのパターンになるという。

ひとつは、口減らしが義務づけられた国で、でも親を捨てられずに隠していたら、そのお年寄りが、年の功を発揮して、隣国との間に発生した難題を次々と解決して、結局、感心したお殿様が、その姥捨てのお触れを撤回する。

もう一つは、息子に背負われたお婆さんが、木の枝を折って山道に落として行く。なんでそんなことをするんだ? と聞いたら、「お前が帰り道に迷わないようにだ」と言って、心打たれた息子は結局、母親を連れ帰る。

これらは、「難題型」「枝折り型」と分類されて、アジアやヨーロッパに広く語り継がれているとのこと。

日本だけの話では無いらしい。それはそうだ。誰でも老いは避けられない。そしてそれをどう受け止めるのかは何処でも問題なのだろう。
2月、母は老人ホームに入るといっていた。今までも散々何度となく言っていた。いっそ入ってしまえばと思ったこともあったが集団生活が耐えがたい可能性が高い。その際にどうするのか。今は出来る限り父と母たちで作り上げて来た自宅に居て過ごすことが一番安心する道だと考え、そのための手立てとして介護保険の申請を行った。
自分の場合は出来る限り自分の手で出来ることをしようと考えてはいる。然しながら自分の娘や他の人たちもが同様に出来る、すべきとは思えない。もっと社会としてどうしていくのか受け皿が必要だと思う。自分だって何時この状況で耐え続けられるか全く分からないのだ。

この日は母はまずまずの状態、か。昼間、ご近所の夫婦に誘われて小田原にクルマででかけたそうだ。先日ご挨拶に伺った方である。色々気を使って頂いているのだろう。
日記帳をみる。日曜の会食については書いてあるがところどころ肝心なことが抜けている。薬は今日の分はその場で服用して貰った。相変わらずティファールの電気ポッドは使ってくれていない。ガスコンロで湯を沸かそうとしたので無理やり電気ポッドを使ってもらった。
帰りに少し駅まで遠回りしてバーに寄った。いつもは駅を降りてこのバーに寄ってから実家に向かう。しかしこの日は最寄駅で先に降りて自転車で実家まで行ったので帰りになった。
店はマスター一人だけだった。然しほんの数分前まで親友が顔を店に寄っていたと云う。入れ違いになったということだ。いつもは木曜日の訪問なので水曜日に来たことが意外に思われた。丁度親友にも木曜に来ると伝えていたという。母だとこの辺の曜日感覚は全くない。いつも通りホットラムをマイヤーズで一杯だけ飲む。空腹に暖かいラムが沁み渡る。この日は珍しく後から男性が入ってきた。ビールと食事に焼きうどん。ぼくは一杯だけ飲んで立ち上がった。いつも通りマスターの写真を一枚とって店を後にした。