Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

3月11日

震災から2周年を迎え職場で一分間の黙とう。

あの日は曇り空で今日のような明るい空は無かった。
5時から父の在宅訪問医療の打合せで医師と会う予定だった。地震後これほど酷い状況とは知らずに何としても打合せに間に合うように帰ることばかり考えて慌てて駅に向かった。駅までの通りはそれほど人々が取り乱していることもなく足早に行く。しかし駅前は人だかりが出来ていた。山手線が運休。その間もひっきりなしに余震が続く。駅舎はコンコースのつなぎ目が2、3cmは断続的に動いていた。天井から下がった液晶モニターが揺れている。なんとしても帰らねばと思うもそんなことは出来ず一晩職場で過ごした。

結局家に着いたのは土曜日の午後1時。金曜とは一転暖かな穏やかな日だった。医師との打合せは延期となった。それどころか自宅で使うには酸素吸入器のバッテリーの確保が必要となり退院自体が延期となってしまった。嫁さんはいち早く病院の父の様子を見に行ってくれた。その時点では未だまだ元気だった父。この後ひと月も持たないとは思えないくらい6人部屋で。

3.11の震災は父の死とは直接結びつくものではない。計画停電などその後の混乱は父の帰宅に大きな影響を与え、結局亡くなる前一週間だけの帰宅となった。一方三陸は弟が亡くなった場所で父母は一時そこに土地を買っており、過ごすことも考えていた場所。母に三陸の記憶があるうちはぼくひとりでも現場に通いたいと思う。