Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

5日、休暇、ケアセンター訪問

日曜日の認知症サポーター養成講座を受講した後、センター長の女性と短くだが話をした。いつでも相談に来なさいという言葉が耳に残っていた。
また、認知症患者に虐待をするのは息子が一番多く、自分もそのうちの一人ではないかと云う思いが重くのしかかっていた。その後に嫁さんたちと渋谷で落ち合うことが出来ずイライラだけが残っていた。
月曜、ほぼ一日雨の憂鬱な日だった。自転車がパンクして急きょ夜に自転車屋に飛び込んでパンク修理したものの、その際に外したブレーキを元に戻さずに帰って買い物に行ってしまい、自宅で自分で直した。ワイヤーが錆びてしまっていたことが原因で自転車屋を責めることは出来ないだろう。
気持ちの落ち込みは相変わらずだった。疲れ切っていた。
月曜日夜中に休むことに決めた。然しなかなか寝ることは出来なかった。午后、日曜日に出向いたケアセンターに電話してみた。急な申し出だが面談して貰えないかということだ。日曜に応対してくれたセンター長は不在だった。その代わりにケアマネージャーが応対してくれ、面談するということになった。2時半ごろ家を出ようとすると嫁さんが一緒に行ってくれるという。かなりだるくしっかりと話が出来るのか不安だったので嬉しかった。陽射し自体は暖かく気持ちが良いはずだった。然し自分はどんよりとした落ち込んだ気持ちを抱えて自転車を漕いでいた。
3時過ぎにセンターに着く。嫁さんは初めて。意外に立派な建物だ。市街地からはかなり離れた場所だが、環境は良い。
初めて会うケアマネージャーさんに緊張する。同年齢辺りだろう。事前に地域包括支援センターへは連絡を入れておいてくれたようで状況は大体把握されていた。話をするうちにふと涙が出そうになってしまった。横にいる妻も涙を堪えているように見えた。自分の中の澱のように溜まったものが少しづつ出て来ているように感じた。虐待の話になった。自分は手は出さないものの言葉で虐待と取られても仕方ないようなことをし、委縮させて進行を早めてしまっているのではないか。と。彼女は云った。虐待はいけないことだが、怒鳴ってしまうことは仕方が無い時もあるし、それでストレスを溜めて心を病んでしまうよりは良いのです、と。
地域包括支援センターでお世話になっている人と一緒に家庭訪問し母に会って貰うことになった。あまり無理強いせずにゆっくりと進めようということになった。そうしないと母は頑なになって拒否をしてしまうだろう。
少し前に進んだろうな気がした。
既に90分以上話をしていた。センターを後にした頃には陽が傾いてきていた。只疲労感は相変わらず重くだるかった。駅まで行ってお嬢と待ち合わせしている嫁さんと分かれて独り家に戻った。どっと疲れて布団を敷いて横になった。
夜、力を振り絞って元気になる食事をしようと家族を誘ってステーキレストランに行った。休み明けで空いていたがゆっくりと食事をすることが出来た。
少しでも前向きになれれば良いのだが。