Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末徒然

3月最後の週末。金曜日から色々あった。
金曜日、28日。夕方、臨床心理士と面談。後2週間で残業規制の解除をしないといけないらしい。しかしこちらとしても大きな問題である母の事、介護の問題は2週間でどうなる訳では無い事を話す。主治医とケアセンターのセンター長と話をしたことを説明する。然し根本的にこのストレスを小さく、或いは減らせる時間だけ。然し介護者の家族ではそれも出来ず最後まで受け入れられずに終わって亡くなってしまう場合もあるという。
取り敢えず母との距離を取ること、そして介護はケアマネージャーさんに任せることとだけ答えておいた。
終わりに組織変更で業務内容が大幅に変更になることを告げ、上司も変わることを伝えた。前途多難である。
夜、急ぎ帰宅。この日の夕食はお嬢の大学卒業祝いと嫁さんに今年一年お弁当を作ってもらったことへの感謝をこめてご馳走することになっていた。歩いても行ける駅前のフレンチレストラン。この辺りでは珍しいオープンキッチンのカウンター席のある小さなフレンチである。去年も丁度同じ頃食事に来た。フォアグラのトリュフソースの一品の入ったフルコースを4人で食す。ワインも未成年の下のお嬢以外の3人で飲んだが、今年は足りなくなってしまった。自家製のカラスミをフードプロセッサーで粉にし降りかけた前菜、甘鯛の松笠焼き、もち豚のソテー等など普段食べ慣れない美味しいご馳走を堪能した。あっという間の3時間だった。
土曜日、29日。午前診察。朝電話が有り義父が朝来ると言うので待っていたが診察時間に間に合わず出かける。お嬢の就職保証人のサインを貰うためと、PCの設定についてだったので後から連絡し、日曜に行くことにした。診察室はかなり混んでいたがこの日は我慢して待合室でひたすら待った。1時間半ほど待って診察室へ入る。この2週間の事、金曜日の臨床心理士との面談、業務変更の事、そして母の事を話す。特段今回は大きなアドバイスを頂けたわけではないが少し落ち着いた感じ。
処方薬を貰ってそのまま実家に母の様子、修繕した家の状態を見に行こうと思ったが疲れたので一旦そのまま帰宅する。上のお嬢が外出したので3人で昼食。塩海老焼きそば。
実家に寄りに独りジョギングで出かける。予報では花見日和とのことだったが風が強く、曇りがちの空模様。
実家の修繕具合を確認。ぐるっと家の周りを庭から見て回り2階に上がって雨どいを見る。ところどころ痛んだ箇所が補修されている。その分で見積もりより4万程高くなっている。妥当なところかなと云う印象。
その後母と無断で支払いをしたことで口論。いつも通り泣き出し、ホームに入る自殺するの繰返し。またかと思う気持ちが強くなってきた。これはもしかして慣れ始めているのだろうか。こう云ったところに鈍感になるのもストレス耐性を付ける方法かもしれない。
実家を後にしてジョギング再開。辻堂駅北口から南口、太平台から引き地川沿いに鵠沼海岸江ノ島水族館迄ジョギングする。風が強く寒い。復路は歩いたり走ったり。歩いていると躯が冷えてしまい風邪をひきそう。途中でコーヒーを飲んで暖を取る。
日曜日、30日。朝から雨。6時に目が覚める。朝刊を取って来てざっと見て薬を飲んで焼酎。最近癖になっている。二度寝
9時起床。未だ未だ眠かったが無理無理起きる。義父宅に行く為の準備。義父のPCがメインでXPを使っているのでそれをWindows7に移行するためだ。移行ツールを使って有線LANでデータを転送する。結構時間がかかるのでその間嫁さんたちは新学期の準備をしたりトランプしたり。外は嵐のような酷い雨風。然し3時過ぎになると一転青空が出て来て明るくなってきた。概ね作業は終わって来たので後は任せて帰宅。途中食料品の買い出し。すっかり雨は上がり陽射しが降り注いで来ていた。以前から掃除機の調子が悪いということで消費税増税前に買いに行くかと云うことになり急きょショッピングセンターへ行く。実家の母も誘って夕食を一緒に取る。掃除機はサイクロン式と従来の紙パック式で迷ったがハウスダスト等に弱い嫁さんの希望でゴミ出し時のダストの飛散が少ないように思われる紙パック式にした。展示品のサイクロン式はどれも細かなダストが残っているのであれが飛散されては堪らないという訳である。28800円也。在庫は無くて取り寄せ。支払はこの日に済ませた。夕食はいつもの中華料理。まずまず。
帰宅して少しジョギング。風呂の順番まで時間があったので。7?ほど深夜帯を街中走る。