Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末徒然

20日、金曜日。帰りに久し振りにバーに寄る。一杯だけジンライムを飲んで行く。マスターと病気の経過について話す。マスターは癌の大手術をして今度の7月で5年目になる。今のところ転移の気配もないとのことで完治ということになりそうだ。ゴルフにも行って日焼けをしたマスター。何時までも元気でいて欲しい。それとうちの母の話をした。こちらはどうなる訳でもないがあまり無理するなよと言われ店を後にした。
21日、土曜日。午前自分の診察で病院へ。明け方5時に起きて新聞を取って来てざっと目を通し、二度寝。朝から焼酎飲んでしまい病院へは未だアルコールが抜け切らない感じ。10時前に行くも待合室は混んでいて一旦外に珈琲を飲みに出る。マクドナルドで時間を潰して戻るも未だ未だ待ち。12時前にやっと終わる。6月に入って体調がすぐれないこと、偏頭痛で動けないことがあったこと。只母はデイサービスに通ってくれて少し気持ちが楽になった一方、長谷川式評価スケールは下がってしまったことが気がかりと伝えた。
薬の処方を受け取って、そのまま帰宅せずに実家の母の様子を見に行く。この日は夕方外出するのでこの時間で無いと母の状況が分からないと思ったからだ。母の状態は安定していた。何より庭が綺麗に手入れされ雑草が無くなり、家庭菜園のトマトが大きく元気に育っていた。レタスも度々むしっている形跡もあり、野菜を取ってくれているようだ。月始めに植えたひまわりも順調に芽が出て育ってきた。添え木もされていた。薬もほぼ毎日飲んでいるようで、1週間分の薬の空き袋が薬カレンダーのポケットに入っていて安心した。
実家から帰宅して休憩。予定では午後に義父宅に行くつもりだったが、嫁さんとお嬢に二人だけで行って貰うことにした。少々疲れていたこともあり、夕方の予定にもギリギリ間に合うかと云う時間になってしまったからだ。
午后自分は少し横になってから4時半に家を出て新宿に向かった。19時から映画を観るためだ。それも32年前の古いアニメーション、「伝説巨神イデオン」。まさかこんな古い映画を劇場で観られようとは思わなかった。数年前アニメ制作のサンライズの記念で劇映画を連続して上映した時があったが、知ったのは既にチケットが無くなった後で非常に悔しい思いをしたのだった。それが今回ドリパスという投票式の映画上映サービスにイデオン劇場版がかかっていることを偶然知り即飛びついたと云う訳。初上映当時はまだ高校生で、その前のテレビ放送時は中学生、受験まっただ中で大きく感情を揺さぶられたものだった。それがこの歳になってまた観られるとは感慨深い。周りの観客も同様のようで自分より年上の人もかなりいて映画館全体の年齢が非常に高い。たまたま自分の横は若い女性だったが、若い人は少数派だった。映像ソースがブルーレイだったので(フィルムは保存状態が悪いのか、もう無いのか?)、映像が綺麗か少々不安だったが、まずまずの画質であった。自宅にプロジェクターがあれば相当に大きく写すことは出来るかもしれないが、一方あの音響、音量は自宅では決して出せないものだった。そして今ではあの画面の明滅は放送できないだろう。内容は一部、接触編、二部、発動編と別れていてドリパスは2本同時上映と謳っているが当時も同時上映で尚且つ一本分のチケット代だったが、この日は二本分、つまり倍のチケット代を取られているのは少々納得いかないがまぁ許そう。発動編はビデオを何度も観ているのだが、接触編は劇場以来殆ど観ていなかったので新鮮な気持ちで観た。改めて観ると意外に厳しい制約の中頑張っているなと思った。接触編は要はテレビ版のダイジェストである。大幅にストーリーを端折ってまとめたものだが苦しい条件でまとめているのに感心した。当時は人気が無く別々に上映時期を分けることが出来なかったのだ。そもそもテレビ版が打切りだったのである。
22時15分、上映終了。当時感じた疲労感を32年ぶりに再び感じた。観てぐったりと疲れてしまう内容なのだ。余りに悲惨で濃密なストーリーに圧倒され疲労困憊。加えて週末の新宿の雰囲気にも馴染めずそそくさと寄り道せずに帰宅した。しかし再び観ることが出来て本当に良かったと思う。
22日、日曜日。雨。土曜日、地元に戻る頃午前0時前から雨が降り出していた。7時に目が覚めたものの午前中はグダグダと寝床で過ごす。雨脚が弱まったので午后ジョギングへ。然し膝に不安を感じ途中からウォーキングに変更、10kmほど歩く。途中雨が再び降ってきて濡れてしまった。実家の母の様子を観て帰宅。母は自分が家を出た後電話をして来て渡したい荷物が有るということだったが、自分が実家に行った時は小雨降る中に歩きということで一旦帰ってから考え直すとだけ伝えて実家を後にする。
帰宅後シャワーを浴びて休憩。この頃には雨は上がり出し空も明るくなってきた。疲労度を考え、実家に行くかどうか嫁さん、お嬢たちと相談。基本やはり日曜は躯を休ませたいところで、お嬢たちからも自分たちで母のところに行って来ると云う提案も出してくれた。然し結局家族で実家に行って出来る限り早く帰ってこようということになった。夕食は近くの回転寿司で済ますことにして8時前には戻って帰ることにした。
食事を近場にして買い物は止めにしたので予定通り8時前には母を実家に送り届けて帰宅することが出来た。なんとなく責任は果たせた週末だったように思う。