Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

年末、新年、そして

年末は暦通り27日まで働いた。

体調が余り良くなくどうなることかと思ったが何とか予定通り休みまで辿り着いた。やれやれだ。

大掃除だが、それらしいことは障子の貼り替えぐらいしかしなかった。付け加えると嫁さんの年賀状作りの手伝いと、深夜の投函か。プリンターを換えて、インクジェット用ハガキの用紙セットが50枚ほどと減ってしまったので様子を見ながらの印刷で手間取った。障子の貼り替えは2年前破れた一枚の貼り替えだけをした以降破れなかったのでそのまま。それを今回は2枚一緒に貼り替えた。サッシ廻りの掃除もしてその周辺だけは綺麗に掃除した。

障子紙が乾くのを待つ間に駅前の家具屋さんに行ってダイニングテーブルの椅子の革の貼り替えの相談をしに行った。前々からそこにあるのは知っていたが入ったのは初めて。工房になっている店内は手作り感満載だった。椅子は家族分4脚ある。しかし本革で張り替えるとかなり値が張るらしい。なんでも革を大きな面積分確保するのに相当かかるという。代わりに合皮を勧められた。ピンキリだが本革に負けず劣らず良いとのこと。年明けに嫁さんと一緒に来て素材をみることとした。

晦日は母の施設に行ってから海岸線をジョギング。ここ数日すっかりさぼっていたので帳尻合わせという意味合いが強かった。然し31日は風強く冷えていて厳しかった。パーカーで頭をすっぽりと被りジョギング、ウォーキングをした。20㎞程だが、脚が張ってしょうがなかった。

年が明け、元日は嫁さんの実家へ。僕は朝に家族の新年の挨拶を済ませて雑煮を食べて母の施設に行った。ここまで毎日施設を訪れているが、デイサービスは休みは元日のみ。施設の利用者には休みは無し。ご苦労様なことだ。

元日の夕食時トラブルがあった。下の娘が長女とちょっとしたいざこざがあり義父宅に行かないと言い出した。言い出したら聞かないのでそのまま義父宅に3人で出かけ、新年の挨拶をしていた。すると真っ暗になった午後6時過ぎ泣きながら娘がやって来たのだ。義父へのお土産を持って来たのである。然しそのまま帰るという。情緒不安定という感じ。説得は聞かなそうなので嫁さんと車で送って行くことにした。彼女にも色々あることは察しがついていたのであまり詮索はせず、自宅に戻り食事と風呂の準備をして娘を残して義父宅に戻った。その後は何ともぎこちない新年会であった。まぁ、仕方ない。こんな年もあるということだ。

2日は昼間は自宅。嫁さんは箱根駅伝の応援に海岸線に出て行った。夜、中学高校時代の同級生と新年会。然しレモン酎ハイを一杯だけ飲むに留めた。3日は大幅寝坊で正午前に起きる。慌てて母の施設まで行くも食事には間に合わず。

4日、初詣に嫁さんと自転車で寒川神社まで行く。大渋滞の中すいすい自転車で行くのは気持ちいい。行きは天気は晴れ渡り気持ちよかったのだが急激に雲が広がり、干してきた洗濯物、布団が気になって仕方なかった。

5日、昼は母の施設に行く。昼食前に行くが機嫌が悪く、食事の介助の前段階で拒否されて近づけず。僕が横に座ることも気に入らない様子でこの日は全く役立たず。敗北感だけが残った。

帰宅して嫁さんが所望している電気圧力鍋を物色しに外出。

やはり施設に行くのは体力気力、消耗すると実感する。だからといって行かないわけにもいかず、なんとか耐えるしかない。今自分にとって最大の危惧は母が施設に居られなくなることだからだ。入院していた頃、施設から退所を余儀なくされ行先なく入院していた人を多く見て来たからだ。