Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

番組の終了

先日TBSラジオをはじめとした幾つかの、長くそして一定の評価を受け聴取率という支持を得つつもスポンサーが付かないという理由*1で終了せざるを得なくなった番組*2の終了について書いた。
民放放送は広告主から広告料を取ってコマーシャルを流し、制作費をもらいスポンサードしてもらって番組を作るビジネスモデルだ。
広告主、スポンサーが居なければ成り立たない。
それは正しい、少なくともこのビジネスモデルに於いては。
これまでは、多くの場合に、スポンサーはスポンサーが望む聴取率、視聴率の数字さえ上げれば良いという状況が続いてきた。スポンサーとしては費用対効果として多くの人たちに知られること、観られること、聴かれることを良しとして広告料、制作費を出してきた。そのための判断尺度として聴取率、視聴率に表れ、その数値が効果測定として正しいとしてきたのだ。これが正しいか否かについてはもう何年も前から懐疑的な意見もあり疑問視しつつもスポンサーはその数値化を是としてきた。
無論、聴取率、視聴率でスポンサーの顔色が変わり、番組存続が左右されることに異を唱えるものは昔からいたし、これに我関せずと、多少なりとも唯我独尊で番組を作り続けることが出来る余裕が“少しは”放送局にもあったし、制作者、出演者にもあった。
しかし昨今の経済状況はその余裕もごっそりと根こそぎ剃り落としてしまったようだ。
スポンサーが付かない、代わりのスポンサーが見つからないというのだ。
視聴率、聴取率への不信感、費用対効果としてパソコン、携帯電話をはじめとしたネットワークによる消費者へのリーチ率の高さによってラジオ、テレビ(そして活字メディア)からスポンサーが手を引き上げだした。その結果決して消費者が付いていないわけではない(寧ろ固定したユーザを獲得していた)番組の幕を下ろすことになってしまった。
会社は誰のためにあるのか、という話と同じに思える。番組は誰のために何のために作ってきたのか。きしくもTBSは4月から持ち株会社に移行する。スポンサーの意向(というより引き留め)、株主の意向を重視した番組作りに注力するのだろう。
やはり放送はもう駄目なんだろうか。

*1:伝聞も含む、吉田豪氏のポッドキャストでもそう言及していた。

*2:ストリーム、バックグラウンドミュージック、コサキンを念頭に置いている。