Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

何気に忙しい日曜日

朝は8時起床。今日は予定は無かったはずだが、急遽金曜日から予定が入り込み忙しい一日となった。
まず午前中、実家に訪問してくれた叔父さんの応対。父の見舞いということで久しぶりに木更津からはるばるやって来てくれた。叔父さんがうちに来るのは法事と決まっていたので非常に珍しい。この叔父さん自身は72歳(と本人)だがアクティヴな人で若いころから山登りに熱中していて良い意味で世俗離れした人だ。今でも山歩きはしているそうである。日本野鳥の会会員でもあり昔から週末になるとぷらっと山に籠もってしまうのだそうだ。妹である母はそういうところが無責任に思えていたようであまり好きではなかったようだ。残された母は長女としてその後の家族の面倒ごとを引き受けざるを得ない立ち回りになっていたようだ。僕の今回の役目は昼食を買っていく事。母のリクエストは寿司だった。近くの良く使っていた寿司屋は味が落ちたとのことで変わりに回転寿司だが結構値のはる寿司屋に行って買出ししてくることだった。しかしそれは木更津のヒト、魚を改めて出すのもどうかと思ったがまぁリクエストは尊重して買っていく。家は10時過ぎに出たが寿司屋は午前中そんな早くに行っても開いていない。しばらく近くの電気屋さんを見て時間潰し。中古PCコーナーでiBook G4 800MHzが15,000円也。ちょっと揺らぐが今更G4?と思い踏みとどまる。
11時過ぎ寿司屋へ。抜き取りコーナーで一人立ち寿司をプラスチックの桶に入れていく。まだ昼前なので席はがらがらかと思ったら結構埋まっていた。
12時前に実家へ行く。日射しが強くクルマの中は暖かだが、外の風は意に反して冷たい。すでに叔父さんは実家に着いていた。てっきり1000円乗り放題となったアクアラインで来るのかと思ったらアクアラインはバスで、横浜から電車でやってきていた。もうあまりクルマは使わないそうだ。歳をとったのだ。しかし叔父さん自身は昔とほとんど代わらないような気がした。40台の頃からずっと変わらないような気がする。あの頃は浮世離れしたことを言う変わった叔父さんという印象が小さいながら感じたものだ。しかし今になって思うとそれはそれ、ひとつの形、生き方として羨ましい気持ちがする。
叔父さんの友達は自殺した人が5人もいるという。仲の良い親友といって良いほどの親密な遊び仲間でこれほどの自殺者がいるということに驚いた。まじめに考え過ぎるんだと叔父さんは言っていた。まじめに考えると自分を追い詰めちゃうんだよという。自殺は高校生の頃の友人から40台、50歳を前にした立派な大人になった人までさまざまだそうだ。そんな話を聞いたのは初めてだった。みんな頭は良かったけど、だからこそ考えすぎちゃうんだろうねと。母もそのうちの何人かは当時の実家に遊びに来ていて知っている人だったそうだ。その後寿命の話になった。男性は80歳弱、女性はそれより8歳ほど長生き。父は後5年で平均寿命になる。そんなにもたないよと弱音を吐く父。長いようで短いもんだよと叔父さん。父と叔父さんは時間の使い方がまったく違っていた。父は無趣味とは言わないまでもあまり休日を何かに熱中すること無く過ごして来たように思う。これは本人の意思もあろうが日々の生活に追われて来たという仕方ない面もある。生活の中で仕事に追われて何かを続けるということは出来なかった。残りの人生をどうやって過ごすか手持ち無沙汰というか苦しみしか見出せていないように思う。
午後2時叔父さんはデイパックを背中に背負って実家を後にした。母は線路まで兄である叔父さんを見送っていた。年老いた兄妹を僕は見守っていた。駅まで送ろうかと言ったが叔父さんは1kmぐらいは歩かないとねといって断った。叔父さんらしい。しっかりとした足取りで歩いていった。帰りに鶴見のアウトドアショップに寄ってダウンジャケットのバーゲンをチェックするそうだ。
帰宅すると誰も居なかった。下のお嬢はクラブの練習で夕方まで学校。しかし嫁さんと上のお嬢は買い物に出かけたらしい。空は晴れ、気温も昨日よりは暖かい。ジョギングすることにした。
夕方義父と夕食を一緒にすることに。ちょうど昨日義父は放送大学を卒業した。そのお祝いだが、逆に御馳走になるのだった。下のお嬢がクラブから戻ってきて嫁さん、上のお嬢が買い物から帰ったのが午後6時前、遅くなったが焼肉を食べに出かけた。