Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

Michael Jacksonの死

朝は予報よりどんよりとした雲が広がっていたが昼にかけて陽射しが出て来て気温は上昇している模様。仕事場からは眺めるばかりで中々分らない。ただちょっと昼明けに外に出た感じだとまだ昨晩の涼しさが漂っているような気配だった。
朝家を出る前に観たニュースでは病院へ搬送とのことだったが、突如としてマイケル・ジャクソンが亡くなったという。ジャクソン5の頃からの可愛い(当時子供だったぼくの目にも愛くるしい少年、Ben辺りが頂点か)印象がスリラーの世界的な大ヒットを境に徐々にグロテスクな変貌を遂げていった生き様をまさにリアルタイムで見ていった自分にとって感慨深いものがある。
当時のショウビジネスにおいて所謂有色人種、黒人の立場がどれ程差別されたものであったのかは分らないのだが、少なくともことショウビジネスに於いてフロントに立ちメディアに露出する人(ヒットチャートを賑わすシンガーなど)はかなりの割合で黒人だった。裏方のプロデューサーとしてもクインシー・ジョーンズのような大物もいたしそれほど差別を受けていたようにはテレビの前のぼくには思えなかった。しかしその中で彼、マイケルは飛び抜けて非黒人化を推し進めていたように見える。エリザベス・テーラーとの関係、その遺骨に対する執着心など、何が彼を突き動かしていたのだろう。それはただショウビジネスにおけるプレッシャー、ストレッサーへの防御としてだけ行動していたのだろうか。鬼籍に入ってしまった忌野清志郎の謳ったモンキービジネスに飲み込まれて、もがいた結果だったのだろうか。愛情対象の偏在、幼児、少年へのただならぬ愛情、非黒人化から非人間化しつつあったマイケル、いったい何処に行こうとしていたんだろう?本当のNeveralandに行くことはできるのだろうか。
80年代のMTVの時代は既に記憶の彼方に消え去った。ベストヒットUSAで初めて放送されるスリラーにかじりつくように魅入っていた遠い思い出となった。音楽業界も真のスーパースターを生み出すことは難しい時代となり、経済的には縮小傾向が顕著となった。スターシステムの終焉の象徴なのかもしれない。