Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

直葬

昨晩、夜9時のNHKニュースで“直葬”なる言葉を知る。
葬式をせず火葬だけすることを「直葬(ちょくそう)」というとのこと。日本では人が亡くなってからは死亡→通夜→葬儀・告別式→火葬というステップを経るのが一般的だが、これに対し、死亡→火葬と、途中の儀礼・イベントを取り払ってしまうことをいう。費用は通常の葬儀代より、当然ながら非常に安価となる。
これが行われるのには2つ大きな意味があって、生前から本人の遺志により儀礼を省いてしまう場合と、独居で身寄りのない人が亡くなり、その後も遺族に連絡がつかない、いわゆる無縁仏となってしまう場合がある。生活困窮者が増えるにつれ独居でなくとも経済的理由で直葬を選択せざるを得ない場合も多い。
一方、私の義母は生前から明確に儀礼的な葬儀を拒否していたため直葬ではなかったが、密葬として送り出した。他にもこのように儀礼を排して静かに葬られたいという遺志を残す人は増えて来ているようだ。
番組ではこういったケースも紹介されたが、より生活困窮による独居老人の直葬を報じていた。亡くなった時点での所持金500円ちょっと、身寄りなく親族に連絡も付かない場合、国と自治体で20万を負担し直葬にする。直ぐには埋葬することも出来ず葬儀会社で保管される遺骨の数々。
先日実家に父母の様子を見に行った際墓をどうするかという話になった。特に祖母の墓についてだった。墓は谷中にあるが父母も数年墓参りは出来ておらず、年末に掃除代としてお金を渡しているという。しかしこれから墓そのものの存在意義が改めて問われる局面になってこよう。谷中の墓地も周りはマンション、再開発が押し寄せてきており、寺として旧来の墓石から集合タイプの墓に変える構想もあるようだ。
一方義母は頑なにひっそりと葬られることを希望した。これが義母亡き後家族間の問題の一端となったのだがそれは別の話なのでまたいつか。残された家族としては遺志はそうはいっても普通に告別式を執り行うことが楽だと感じる。
自分はどうしたいか?直葬で潔く、などというのは残された家族に対しては思い上がりのようにも感じるこの頃だ。もっともそんな選択肢なく直葬される人々がどんどん増えている実態、死の持つ意味が変容していくように思う。