Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

コミュニケーションの進化?

冷たい雨が降り続く。
先日父母と墓参りの帰りに実家に寄った際、本棚で大友克洋の単行本をみつけて借りて来た。講談社時代の「AKIRA」と「彼女の想いで…」だった。大友克洋は弟が敬愛していたので「ショートピース」からほぼすべての単行本が揃っているはずだが実家の一階の本棚にはこれだけが入っていた。
良く知られているように「AKIRA」は短編「Fire-ball」(「彼女の想いで…」に掲載されている)の続編というか、きちんと書き直したいという大友克洋の希望から生まれたものだ。現在はすっかり映像作家となった大友克洋だが、よくぞ(たびたび休載したものの)ヤングマガジンで連載を続けられたものだ。
童夢」も「AKIRA」も超能力の話だが、それは人類の進化の過程の中で得られる能力として描かれている。「AKIRA」の場合は薬物投与によって人工的に覚醒された子供たちが出てくるわけだが、遅かれ早かれ人は超能力を発現してくるものと考えているようだ。それは薬物投与を受けていないはずの登場人物のそこかしこに超能力(らしきもの)をみせていることから想像できる。それはサイコキネシス、テレパシーだったりする。
1980年代、90年代は特に人類の進化としてテレパシーをはじめとした精神世界的な意思の疎通が多かったような気がする。それは「機動戦士ガンダム」におけるニュータイプが最たるものだ。ガンダムの中では超能力?と確かセイラ・マスが発言していたものの、物理的な移動をするテレポーテーションなどではなく、コミュニケーション能力の拡大という面が大きかったように思う。
かようにつらつら考えていたところ現在の携帯電話や、インターネット、それにtwitterなどまだまだ貧弱ではあるもののこの是非は置いておくとして、個人のコミュニケーション能力(ただ単に伝達力といっても良いかもしれない)はどんどんインフレしているように感じる。物理的距離、人間関係を飛び越えた結び付きが(希薄で貧弱、脆弱なもののそしりを免れないとしても)生まれつつある。これは必ずしも良いことばかりではないとは思うが方向性は止めようがない。