Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

子供を育てるということ

子供、ひとひとりを育てるのは大変なことだ。
数日前週刊誌の見出しに子育てを失敗したという記事が出ていたのでちょっと気になったのだが、以下のようなことがひとつの出来事のようだ。
これは、昨日の出来事 - 柳美里の今日のできごと
このこと自体は子供が大なり小なりつく嘘の派手目のものかなと思った。近所の門の呼び鈴押して逃げて様子をみるという悪戯は自分もやったことがある。消防車や海上保安庁となるとスケールが大きいとは思うが知恵さえついていれば起きることではある。それでもやってしまうのはなぜかというのは別にあるが。
しかし興味本位で他のブログ記事を読み進めていくうちにどんどん読んでいるこっちが怖くなってきた。これって創作なんだろうか。何の躊躇もなく自分の子供の写真とその時々の出来事、感情を書きつづったブログはまるで新手の小説を読み進めていくような気持ちになる。バレエの衣装(ひらひらとした衣装が好きだったらしい)をまとったやせた子供から70kgの巨体への変貌。万引き、いじめ。洋蘭栽培アマチュア無線に興味を示し、関連書籍を図書館から大量に貸し出しをしたリスト。ズボンのポケットから見つかる“犯行計画104”、洋蘭栽培用の温室脇に設置された動物の“いれいとう”。
何かスティーブン・キングのシャイニングを思い出した。そう悲劇的なクライマックスを予感させられてしまうのだ。個人的には知った場所がいくつも出てくるのでより一層リアリティを感じてしまうところはある。
子育ては大変だ。母親にとっては自分の腹を痛めて生んだ子供。その自分の身を分けた分身が成長という名のもとに別人格として正体を表す。平気な顔で嘘をつかれたと知ったときの驚愕は自分にも覚えがある。また件のいたずら電話や万引き発覚時に、消防署や海上保安庁、学校に行き謝罪文を書かせるなど若干エキセントリックに過ぎるきらいがあるのも自分にも似た部分があるように感じた。
しかし、これはこのままでは拙いのではなかろうかというのが正直な感想。外部の公的、私的な支援を考えるべきではなかろうかと思う。彼女の場合同居している大人もいるようではあるが、この親子関係を良くしていけるようには思えない。すでに自分自身で改善できるような状況ではない。親と子供が正面向いて対峙して解決できる範疇を越えているように思える。早く第三者をいれてお互いの本心を探った方が良いのではないだろうか。