Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

父の記憶

今日は朝から母と亡き父の名義変更など。
実家に行き、保険の死亡給付金申請のため、母の実印を押印する。まずは母は実印の収納場所を記憶していてひと安心。
今日は母と二人でクルマで移動。年金事務所に行き遺族年金に変更申請を行う。昨日役所にて必要な書類のリストアップをしてもらって既に印鑑証明書、戸籍謄本等を入手していたので申請書の記入のみでスムースに手続きを終えた。以前から評判の悪い旧社保庁だったが思いの外丁寧で気さくなアドバイスあり、提案ありの応対で関心。事前に書類を揃えてあったのも大きいか。待ち自体は午前で未だ空いていた(午後にはかなりの待ちが出ていた)のが幸いし30分程の待ちで済んだ。遺族年金自体は金額的に予想外にあって驚く。昨今の就業状況を考えると望外。自分も担当をしてくれた年金事務所の人もこんな金額は望むべくも無い。世代的なものもあろうが、バブルを会社人生後半に経験出来たことが大きく退職時の収入が大きかった。
その後中華料理店で昼食。初めての店で担々麺にミニ餃子のセットは量が多かった。
証券会社に行く前に必要な書類を入手すべく役所へ行く。昨日最寄りの茅ヶ崎市役所にて戸籍謄本を入手していたが、金融機関では相続対象としては生まれてから亡くなるまでの記載のある戸籍謄本が必要とのこと。相続人を確定させるため嫡子等を確定させるのだそうだ。結婚前の戸籍は他にあるので改めて入手をしたのだが、なんとここでは生まれてからの戸籍は無く、東京都北区に再び戸籍謄本を取り直す必要が出て来てしまった。
1月に肺がんとなり、先が無いと覚悟をしその後は出来る限り父の病室に脚を運んで来た。それは週末のみならず平日も面会に行き話をして来たつもりだった。しかし父の結婚前の生活については殆ど何も知らなかったことを改めて思い知った。いったい何を話して来たのだろうという思いで一杯。
父が北区にいたという話は全く知らなかった。確かに日暮里に墓があるのだがその辺りに住んでいた話は聞いたことが無い。出生届が大阪市というのは聞いたことがあったのだがまだまだ知らないことがあるのかもしれない。
ということで金融機関の相続手続きは終わらず。もう暫く続くこととなってしまった。