Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末徒然

20日、土曜日、どんよりとした曇り。6時半お嬢は大学の授業の為準備。こちらも目が覚めて朝食を取って二度寝。でも殆ど横になっているだけ。9時起床。10時自宅を出て駅へ向かう。雨は何時降り出してもおかしくない空模様。
マクドナルドで診察で話すことをまとめる。コーヒーにソーセージマフィンのコンビ。LOH症候群のAMS問診票を書く。
11時の予約だが早めに病院へ行く。かなり混んでいる。診察券を出すと保険証の提示を求められる。前回出したような気がしたが忘れていた。保険証の期限が3月末で更新されているので保険証の確認が必須だと云う。このままでは費用は自己負担となってしまうという。保険証は後からでも提示すれば自己負担分以外は返金はされるということだが5月の連休後になってしまうだろうし手続きが面倒だとも思い、もう一度戻って保険証を家に取りに帰ることにした。このことが後々に役に立つことになるとは。
雨は今にも降り出しそうな中急ぎ駐輪場に戻り自転車を出して自宅へ向かう。4月後半とは思えない気温でダウンジャケットやウールのコートを着ている人が多い。折しも地元では春の大きな祭りのパレードで人通りが多く、自転車は注意深く漕ぐ。事前にメールしておいたので保険証は直ぐに用意してくれていた。折り返し病院へ向かう。
往復30分ほどの時間で戻って来れた。診察の順番はそのままにしてくれたようで結果的に待ち時間が減った印象。
診察室に呼ばれてこの2週間の事を話す。相変わらず日々苦しさを感じていることを話す。しかし医師はそれは波はあっても乗り越えられているように見えるけど、精神的に苦しさは誰しも感じることなのでは?と。
話をLOH症候群のことについて聴く。待合室にも新聞のコピーが掲示されている。AMS問診票に記載したことをみせる。すると早速検査をしてみますか?という。この時点で11時50分。紹介する病院は12時まで。近くなので不可能な時間では無いという。医師は即座に電話して未だ受信できるか聞いてくれた。未だ可能だと云うことで、そこで診察は終了し、場所を説明され会計、処方箋はそちらが終わってからで良いと云うことになり、保険証だけを渡されて病院に向かう。
ポツリポツリと雨粒が落ちて来た。急展開の成り行きに戸惑いつつ早く進むことに少し前進しているようで安堵する気持ちもあった。
病院は泌尿器科と皮膚科で以前同じ場所にあった病院には来たことがあったので場所は分かった。しかし病院自体が変わったことは初めて知った。
先ほど電話で受診をお願いしたものですと伝える。小さな待合室に4人ほど。保険証を持って来ていて良かった。初めての病院なので問診票を書く。結局診察室に入ったのは1時前。簡単に状況説明をしてLOH症候群を疑っていることを話す。然しホルモン、テストステロンの検査は午前11時前に行うことが決まっているらしい。それ以降だと日内変動で下がってしまい正確な診断が出来なくなるらしい。それに来週末はここの病院は連休に入るとのことで週明け直ぐに検査をする必要がありそうだ。ここの医師はかなりはっきりしていて診断はテストステロンの結果で治療をするか否かを判断すると云う。精神的な部分に関しては明るくないので泌尿器科としてEDや尿関係の治療として行うと云う。自分の主訴は精神的な部分、抑うつ感や無力感、睡眠障害だがそれをこちらに求めるのは難しいことはわかる。服用中の処方を提示する。
また気になることとして父が前立腺癌で亡くなっていること。医師は明確になってはいないとしながらも、遺伝の関係はあるとみているという。詰まりぼく自身も前立腺癌は注意が必要ということらしい。父の主治医に聞いたときはそれは無いとのことだったが…。PSAマーカーの調査をする必要もあるという。
ということで急ぎ受診したが結局問診だけで終了。検査は週明け以降。今日22日に午前中採血を行った。
戻り病院にて会計、処方を受取る。一旦強く降った雨は小雨になっていた。
帰路に別の薬局に寄る。母が先週から処方箋を出している薬局である。先週は薬が足りないと云うことで後日自宅まで届けるとのことであった。その後今週の水曜日に母に会って聞いたところ、その通りその土曜日の夕方自宅まで届けてくれたらしいのだが、どう見ても薬箱の中に薬が少ない。30日分、60錠あるはずなのに半分以下しかない。すでに電話では問合せはしているが、直接確認をするために薬局に寄った。話をすると確かに土曜日当日の夕方実家の母まで薬は届けてくれたようだった。錠剤の個数も明記してあり、薬局側も複数人で確認しているとのこと。確かに母から預かった薬手帳にもその錠数の記載がある薬袋が貼り付けられている。ということは初めにもらった筈の薬が何処かへ行ってしまっているということになる。
この後実家で確認する旨伝えて帰宅した。
雨は本降りになり冷え込んできた。暫く休憩。お嬢たちが大学から戻りひと眠りしてしまい午後5時となったが実家に雨の中向かう。
早速薬の件について確認。家じゅう捜索を覚悟したが何とすでに母は薬を見つけていた。カレンダーにメモと共に貼り付けてあった。やはり追加の不足分は土曜日に受取っていた。無かったのは薬局で最初に受取った薬分だったそうだ。他の買い物の袋に入れてずっと見つからなかったらしいが、やっとみつかったという。水曜日の時点では全く意識が無かったのだが、自ら見つけられたことは良しとしよう。やれやれひと段落。
夕飯はショッピングモールに出かける。フードコートで皆それぞれ好きなものを選ぶはずだったが結局みな同じ店。桜海老のかき揚げ丼ぶりに海鮮丼などなど。予想外の量で自分は何とか食べ切ったが母は当然残すも。お嬢もギブアップ。今後はここは控えめにしないとダメだ。
遅くなったがそこで食料品の買い出し。帰宅が10時過ぎになってしまう。
21日、日曜日。朝からずっと雨。かなりの寒さ。2月の冬のようで窓ガラスの結露が凄い。8時に一旦目が覚めてしまい寒さも手伝って朝から焼酎お湯割り。気持ち良くなってぶらぶらとインターネットをさまよう。寝て躯を休めれば良かったのに。昼には雨は予報通り上がった。アスファルトも午後には乾いてきたのでジョギングに出かける。しかし気温は低く風も吹いている。いつものコースでは無く亡き父が勤めていた会社の方を目指して走る。直線距離では大したことないが、慣れない市街路をうろうろしながら走るのでペースは上がらず。湘南銀河大橋手前までやっと辿り着く。ここで折り返し、帰路はゆっくり歩いたり走ったり。駅前は祭りのパレードが開催していた。駅前の母の薬局に寄り、昨日薬が見つかったことを報告しておいた。
帰宅して風呂でさっぱりとした後は食料品の買い出しに駆り出される。これで辺りはすっかり暗くなり週末も御仕舞。
この日は母には会いに行かなかった。