Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

大船渡弾丸ツアーその6

北里大学を後にして、崎浜に向かう途中、横道に逸れる。完全に勘に頼ったものだ。20数年前に来たときより微妙に道幅が変わって広くなっていたり狭くなっていたりしたので中々判り難い。昨年も同様にウロウロしたのだが弟の使っていたアパートは判らず仕舞いだった。しかし今年はふとそれらしきアパートを見つけた。母屋の方は立派な檜で建て直されて綺麗になっていたが平屋のアパートは面影がある。
突然の訪問で玄関先で無視されること、忘れ去れてしまうことも覚悟して立派な玄関の呼び鈴を押す。2、3度押していると奥からおばあさんが壁伝いに出て来た。見覚えのあるおばあさんである。一通り自己紹介をする。25年前にこちらでお世話になった弟のこと、事故のこと、父母が一時はこちらの紹介で土地を購入し移住も考えていたことを滔々と話した。
しかしおばあさんは中々認識してくれず、今こちらに住み込みで復興工事をしに来ている北海道からの出稼ぎの兄弟と認識している模様。出稼ぎの人たちはGWに入ってすぐに皆北海道に戻ったということで何故来たの?という感じだった。改めて25年前の事故の話をしてやっと事情を理解してもらえた。父が2年前に亡くなり近年年賀状のやり取りも途絶えていることを詫び、自分が兄であることを理解してもらえた。おばあさんは数年前転倒し半身に麻痺が残ったそうだが今はリハビリが効果あり壁伝いになるが歩くことが出来るようになっており言葉関係は全く当時のままだった。突然の訪問を詫び、現場の石像のことを話し別れを告げた。
大学は学生が撤退したものの2年契約で復興工事の作業員、出稼ぎ労働者で一杯だそうだ。しかし問題はその後。ホタテやウニ、ワカメの養殖が何処まで復旧するか、それだけで地元経済が持つのか否かが大きな問題だろう。
この後越喜来を後にして、昨年行けなかった釜石に向かう。