Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

休暇

朝、診察に病院へ向かう。
嫁さんとは病院で待ち合わせ。彼女は朝整形外科で指のリハビリがあった。10時半に待ち合わせた。家は10時ごろ出て余裕をもって駅に向かう。いつもの駐輪場に自転車を停めて歩いて病院に向かう。時間が余裕あったのでマクドナルドで珈琲を買っていく。
先週土曜日は休診だったせいか待合室はかなり混んでいた。運よく自分の前の患者さんが会計を終えて帰るところだったので座ることが出来たが、座れないで立って待っている人もその後には居た。11時前に嫁さんが待合室に現れた。嫁さんも運よく待たずに座ることが出来たがなかなか12時近くになっても呼ばれることはないし、待合室が空くこともなかった。12時半過ぎ、半ば諦めかけていたところに急に診察室へ呼ばれた。
嫁さんと医師が会うときは滅多にない。会うのは僕の調子が悪い時。つまりそういうことだ。先週からの変化を聞かれるも上手く話せない。これが現状だった。頭痛と倦怠感、抑うつ感が続いていることを何とか話すのが精いっぱいな状態だった。やはり殆どの時間を母の介護の状況について話すことになった。この辺りは嫁さんに現状を説明してもらったので助かった。
印象に残った言葉。託児施設ならぬ、託老施設。老いて痴呆になった人には全ての判断を任せていたらことは進まないという意味らしい。痴呆、認知症の人は不安定で言っていることが変わってしまうのは仕方がないこと、周りで支える人がその分判断して進んで対応をしていくべきということらしい。尤もな考えだが、こと自分の親に対して承服していないことを決定するのは気が引けるというのが正直な今の気持ち。
疲労はかなり溜まっているという診断でしばらく休んだほうが良いということになった。自分の感じている根本的な不安要因である、自分も認知に問題があるのではないか、同じように物忘れが酷くなっていることを気に病んでいることもやっということが出来た。それに対してはまずは今の抑うつ状態を脱して休養を取ることを先にすること、その後で気になるようであれば専門の外来先を紹介するということになった。先日行った脳神経外科ではなく専門医が居るらしい。
診断書を書いてもらうことになった。休養は2週間か4週間でどちらにするかと問われたが答えられなかった。母の問題はどちらでも何らかの解決を見ることはない。これから先恐らく何年と続いていくということは先日のケアマネージャーさんからも事例の紹介として話があったばかり。それに向けて耐性を付けられるようにする期間になるのだろう。どちらでもいいということで一月分の休養を記した診断書を書いてもらった。頭は相変わらず鈍く痛んだ。
病院を出て嫁さんとは別々に帰路に着いた。自分は処方箋を薬局に持っていき薬をもらわないといけなかったし、嫁さんは食料品の買い出しがあったからだ。
処方は薬の種類は少ないが錠剤の1/2が朝昼夕とあり、また就寝前は1錠だったりと細かく、一回分づつ分包にされていた。
帰宅した時はまだ陽が出ていたが傾きかけていた。何か半日どっと疲れた感じ。倦怠感が更に増した。
夕方5時過ぎ、上司に電話を入れ状況を説明する。診断書の渡し方、産業医との面談も必要になるだろうことを伝え休んでしまうことの謝罪と今後の手続きについて指示をお願いした。
夜、寝付けに梅酒を軽く一杯飲んだ。ここ4日梅酒だけだ。なんとか眠れたが夜中に2度ほど目が覚めてトイレに起きた。以前のような夢遊病的な行動ではなく意識はあった。しかし5時に目が覚めてからは眠ることは出来ず6時過ぎに起きてしまった。この秋一番の冷え込みの朝だった。夢に仕事の風景が出てきた。当然頭に仕事が気になる部分もある。然し焦らず行く先々の準備となるようにしたい。