Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

正義の行いの厄介さ

介護をしている人の話を聞きたくて介護家族のつどいに参加してみた。本当は会費が必要なものであったが、やはりつどいは仕事と介護を両立させている訳ではない*1らしく平日の開催が殆どであった。しかしこの二月は神奈川県下で市町村主催の無料の介護家族のつどいが日曜にあり、参加してみた。その時の話はまた別途書こうと思う。

そこに参加した際のつてで改めて平日のつどいにもお試しとして*2参加することが許された。

考えれば介護中の家族にとってデイサービスのある平日はひととき安息の時間を取れる貴重な時間だ。仕事が休みの休日は洩れなく介護に罹りっきりな訳で、どうしても平日開催になってしまうのだろうと思う。

結果二月はつどいに二回参加したわけだ。

ここで数名の方々の介護経験(継続中)の話を聞くことが出来た。只自分のように働きながら(今は休職中だけど)介護をしている人はおらず、また全員が女性だったのには落胆した。やはり男性が介護をしているのは少ないのであろうか。然しながら予想とは違った気が付いた点があった。

それは皆一様に自分が介護をしているのは、相手がどうであれ正しいことをしている、善行をしているという動機だった。むろん姑の面倒を図らずもすることになってしまったとこぼす人もいるのだが、しかしそれでも介護をすることで何かを得られるのだという根拠の無さそうなことを信じていることは伝わってきた。

そしてその正義の行いは、正義であるが故自分が完遂しなければならない使命感のように思っていること。自分にはそれが出来る筈だという思い込みを言葉の端々に感じたのだ。

これは女性、男性に分け隔てなく持つように思う。自分が介護という正しいことをしているのだから、それを拒んで介護しない人は成し遂げれば得られたであろう“高徳”をみすみす逃してしまったとさえ思っているのだ。

これはある種マゾヒスティックなものさえ感じる。世の中、大抵のことは、自分は正しいことをしているという思い込みが行動原理の根底にある。初めから悪事をしようとしてする訳ではなく、傍からみたら可笑しな錦の御旗を掲げていることは少なくないのだということ頭のどこかに覚えていた方がいい、多分。

*1:仕事と介護をしている人にとって平日のつどいの開催に出席するのは無理があるのだろう。一体その人たちはどこで会うことが出来るのだろう。

*2:本当は会費が必要だが、まずは非会員として