Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

べた座り

最近、とくに見かける。気のせいだろうか。
所謂ヤンキー座りではなく、床にお尻をべたっとつけ、脚を伸ばした状態を言っている。体育の時にしたような膝を抱えて座るのではない。そして大抵は後ろの壁に背中をもたせかけているのだ。随分昔だが電車の中で床にべた座りしている高校生(男女とも)をみたときは驚いた。電車の出入りに邪魔になるのは勿論なのだが、公衆の面前でそういった姿勢、姿態ができることに驚いた。
最近見かけたのはそういった高校生だけではなく、おばあさん(この人は駅前広場の通路でペットの犬4匹をを引き連れていた。夜だったが暑かったので冷たく気持ちよかったのかもしれない)、20代と思しき会社員(酔っ払いは以前も見かけたが、そうではなく真昼間疲れて呆然と座っていた)、初老の紳士(どこか空虚を一点見つめていた)といったひとたち。
自分の感覚ではまず不潔(例えそれがピカピカに磨かれたフロアの上だったとしても)だし、格好の良いものとは到底思えない。無論、自宅に限らず「室内」であればリラックスして座ることはあるだろう。しかしそれを人目もはばからず見せてしまうのはなんだろう?
恐らくよく言われるように公私というものが希薄になった感覚、いやもっと公の存在が理解できないしないし眼中に無いという感覚なのかもしれない。公私の私の部分であったとしても、最低限の美意識としてもべた座りはおかしくなく、逆に「楽なんだからいいじゃん」ということなのか。
こういった違和感、感覚のズレってやはり歳とて保守的になったということなんだろうか。