Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

あれから、2年

2年前の10月30日、16時頃携帯に病院から連絡があった。

それまでにも時折夕方にiPhoneがなることはあった。大抵電話には出ない方が多い自分だが、母が入院している病院からは別である。頭のどこかでまた患者さんと揉め事を起こして個室に移動になるのかな、という思いが頭の中を過ぎった。確かそんなに寒くはなっていなかったと思う。普通にジョギングしていたはずだ。休職して数か月、外に出るのはジョギングか、病院に見舞いに行くことだけになっていた。病院から良い知らせはほぼ無い。そうわかっているのだが、改めて心がざわめく。

何時も連絡をくれるフロアのリーダーさんだった。母が病棟で転倒し足を骨折したらしい。救急車で関連する整形外科に緊急入院するのでそちらに行って欲しいとのことだった。

あぁ、ついに来たか、というのが第一印象。老人の転倒、大腿骨骨折、寝たきり介護が見事に見通せた。

ジョギングは途中で切り上げ、帰路に着く。帰ると慌ててシャワーを浴び着替える。洗濯物を仕舞い、嫁さんにメッセージを送って自転車に乗る。救急病院は一二度しか言ったことのない場所だが道に迷わずほぼほぼ最短距離で着くことが出来た。途中は勘で走る道も多かったのに、その後もその道は忘れずにずっと通う事になった。

取り敢えず受付で救急外来の場所を聞いて行く。中から獣のような声がしている。恐らくこれが母の叫び声だろう。耳を覆いたくなる音だった。そして同時にこれからの介護がまた大変になるなと覚悟させられた音だった。

この日は運悪く整復出来る整形外科が帰宅した後で、電話で呼び戻しているところだと診察室から出てきたインターンらしき若い医者から聞いた。戻って来た医者も話の通じない母を前に困惑するだろう。いや、もうこんな患者には慣れっこだろうと頭の中がぐるぐると廻った。

30分ほどして30代後半の医師と思しき人が診察室に入り、暫くしてまた悲鳴が、叫び声が響き渡った。しばらくして母を載せた搬送ベッドが出てきた。うわごとのように助けて助けてと叫ぶ母。自分は横に着き左手を握ろうにも振りほどかせられる。母は右大腿骨と右手首を粉砕骨折していたという。運悪いことに手術は予約がいっぱいで11日先が最短で手術可能だということだった。それまでどうするんですと問うとギブスで固定して入院することということだった。元々入院していたのでそれが場所が変わるだけだが、いよいよもって切羽詰まって来たなという思いでいっぱいだった。

この後2階にある外科病棟へ移動し4人部屋に入った。同じような高齢者の女性だったが認知症ではないようだ。

患部を固定するという事で、骨折した右大腿骨は足首にマジックテープでロープを縛り付け、ベッドの足元に滑車を付け、重り5㎏で引っ張るという何とも原始的な方法で固定した。そんなことは分からない母はそれを嫌がって仕方がなかったが21時近くになって仕舞っていたので逃げるように病室を後にした。