Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

あれから、2年の続き

入院病棟は2階にある。母の病室は4人全員外科の高齢の女性患者。隣は男性用病室のようだが、その隣は女性の病室だが内科の患者もいたように思う。夕食の時、冷温配膳車まで母の食事を取りに行くとき、名札と食事の内容が書いてあるので大体わかる。

母は初日の夕飯は既に時間が過ぎていたので何も食べていなかった。次の日は夕方自転車で向かった。初日に通った道だ。市街地から続く住宅街だが以前は農地が広がっていた郊外で今は大きな邸宅が多く街灯が少ない。闇の中を自転車で通う事が毎日の日課になった。

二日目の夕方、病院に着き守衛待ち受けの受付に見舞いの記録を書いて2階に上がったのは午後6時を少し過ぎた頃だった。夕食は午後6時、

配膳されて食べ始めた頃だと思った。病室に行くと母は布団を頭まで被っていた。食事は既に下げ膳されていた。食事をする意思がないということらしい。普通の病床では食事の介助はされないということらしい。廊下には未だ配膳車があったので慌ててそこまで行って母の食事を取り戻した。何とかして食事をしてもらわねば、その一心だった。然し母との意思疎通は細い細いものだった。食事ののったトレイを何処に置くかすらままならない。デスクサイドの小さな引出しテーブルに乗せ、刻まれた食事を口に届けなければならないのに母は布団を被ったまま。どうしたらいいのか。暫く座り込むことしか出来なかった。