面接セミナー
転職エージェント(非常に有名な企業)の開催する面接セミナーに参加した。
雨が降る肌寒い中、貸会議室に11名が集う。恐らく早期退職制度を利用した元会社員のようだ。出自は分らないが、皆大手企業の早期退職組、らしい。講師はこの前提で面接のノウハウをレクチャーしてくれた。たっぷり3時間、模擬面接のグループワークを含め行われた。
結果、時間はかかったが、参加して良かったと思う。要はコミュニケーションスキルを上げることで、これ自体は今からでも遅くはならないトレーニングであり、就活だけでなく生きている上で山籠もりする訳でも無く独りで生活出来るわけではないので必要なスキル。
雇用保険説明会
2回目のハローワーク。雲が厚く今にも雨が降り出しそうな気配の中、ハローワークにて雇用保険の説明会に参加した。
Reboot
リブートします。
3月末、3月31日をもって退職しました。
そして早いもので、3週間が経ちました。今は学生時代以来の無職です。無為に過ごしている訳では無く、転職エージェントと3回面談し、ハローワークに仮申請に行ったり思った以上に予定が入っています。
然しながらあっという間の3週間、日々の記録的なものも残したいとあくまで備忘録として書いておこうと思った次第です。
先ずは退職までの顛末から、かな。
椅子の修理
先日仕事場で「人生100年時代のファイナンシャルプランニング」なる講座に参加した。90分弱で昨年話題になった老後資金2000万円不足問題を皮切りに何歳で幾ら必要かを細かく説明された。気持ちはどんよりと落ち込んだ。確定拠出年金、DCは分割で貰うとその度に税金を徴取されてしまう、初回で全額受け取っても1990万までは控除される(そんなに貰えるとは到底思えない)が、一遍で貰うと運用に失敗する人が多いとかテクニカルなことを立て板に水の調子で話された。
げんなりである。
前日まで次のクルマはどうしよう、家の改修も何時するかなど色々考えていた能天気な頭に飛び切り冷えた水をぶっ掛けられた気持ちだった。
お金の使い方をこの先慎重に考えねばならない、のは承知していたはずだった。
年末ダイニングテーブルの椅子の革が破れていたので修理を相談していた。結構ごつい木製の椅子はテーブルと4脚の椅子で30万程だったと記憶している。店頭で傷有りでそれでも格安になっていたものだ。革張りの座面でステッチから破れてきている。既に23、4年使用してきたものだ。破れても仕方ない。
修理は本革張りだと4脚分の革を入手するのに椅子本体を購入するくらいの値段だという。合皮で済ますことにした。それでも結構な値段だった。生地の入手が出来たという事でこの週末椅子を持ち込む予定だ。
然し一方このテーブルに4脚が必要なのかも微妙な気がしている。子供達は週末は殆ど家に居ないことが増えた。4人で食事する機会が減った。この先どれほどつかうのだろうか、と。
それでも僕と妻はこのテーブルで食事をし続けるだろう。一方修繕したい個所は他にも色々ある。畳の貼り替えは急務だろう。カーペットも良く歩かれる個所はすり減って来ている。何処まで修繕して使っていくのか。
そして何より気になるのはこの先介護がどのくらい続くのか。
今の施設に何時まで居られるのか。施設を出るとなってその先はどこになるのか。
そういった費用の話は先のFP相談会では全くなかった。
年末、新年、そして
年末は暦通り27日まで働いた。
体調が余り良くなくどうなることかと思ったが何とか予定通り休みまで辿り着いた。やれやれだ。
大掃除だが、それらしいことは障子の貼り替えぐらいしかしなかった。付け加えると嫁さんの年賀状作りの手伝いと、深夜の投函か。プリンターを換えて、インクジェット用ハガキの用紙セットが50枚ほどと減ってしまったので様子を見ながらの印刷で手間取った。障子の貼り替えは2年前破れた一枚の貼り替えだけをした以降破れなかったのでそのまま。それを今回は2枚一緒に貼り替えた。サッシ廻りの掃除もしてその周辺だけは綺麗に掃除した。
障子紙が乾くのを待つ間に駅前の家具屋さんに行ってダイニングテーブルの椅子の革の貼り替えの相談をしに行った。前々からそこにあるのは知っていたが入ったのは初めて。工房になっている店内は手作り感満載だった。椅子は家族分4脚ある。しかし本革で張り替えるとかなり値が張るらしい。なんでも革を大きな面積分確保するのに相当かかるという。代わりに合皮を勧められた。ピンキリだが本革に負けず劣らず良いとのこと。年明けに嫁さんと一緒に来て素材をみることとした。
大晦日は母の施設に行ってから海岸線をジョギング。ここ数日すっかりさぼっていたので帳尻合わせという意味合いが強かった。然し31日は風強く冷えていて厳しかった。パーカーで頭をすっぽりと被りジョギング、ウォーキングをした。20㎞程だが、脚が張ってしょうがなかった。
年が明け、元日は嫁さんの実家へ。僕は朝に家族の新年の挨拶を済ませて雑煮を食べて母の施設に行った。ここまで毎日施設を訪れているが、デイサービスは休みは元日のみ。施設の利用者には休みは無し。ご苦労様なことだ。
元日の夕食時トラブルがあった。下の娘が長女とちょっとしたいざこざがあり義父宅に行かないと言い出した。言い出したら聞かないのでそのまま義父宅に3人で出かけ、新年の挨拶をしていた。すると真っ暗になった午後6時過ぎ泣きながら娘がやって来たのだ。義父へのお土産を持って来たのである。然しそのまま帰るという。情緒不安定という感じ。説得は聞かなそうなので嫁さんと車で送って行くことにした。彼女にも色々あることは察しがついていたのであまり詮索はせず、自宅に戻り食事と風呂の準備をして娘を残して義父宅に戻った。その後は何ともぎこちない新年会であった。まぁ、仕方ない。こんな年もあるということだ。
2日は昼間は自宅。嫁さんは箱根駅伝の応援に海岸線に出て行った。夜、中学高校時代の同級生と新年会。然しレモン酎ハイを一杯だけ飲むに留めた。3日は大幅寝坊で正午前に起きる。慌てて母の施設まで行くも食事には間に合わず。
4日、初詣に嫁さんと自転車で寒川神社まで行く。大渋滞の中すいすい自転車で行くのは気持ちいい。行きは天気は晴れ渡り気持ちよかったのだが急激に雲が広がり、干してきた洗濯物、布団が気になって仕方なかった。
5日、昼は母の施設に行く。昼食前に行くが機嫌が悪く、食事の介助の前段階で拒否されて近づけず。僕が横に座ることも気に入らない様子でこの日は全く役立たず。敗北感だけが残った。
帰宅して嫁さんが所望している電気圧力鍋を物色しに外出。
やはり施設に行くのは体力気力、消耗すると実感する。だからといって行かないわけにもいかず、なんとか耐えるしかない。今自分にとって最大の危惧は母が施設に居られなくなることだからだ。入院していた頃、施設から退所を余儀なくされ行先なく入院していた人を多く見て来たからだ。
湘南ライナー
朝の出勤時に湘南ライナーを利用している。
セット券を購入している。平日のみ運行しているので、一回当たり520円のライナー券が毎月大よそ20日前後あるので10000円となる。結構痛いが朝のラッシュを回避しストレス低減を思えば外せないものになった。
ライナーの乗車率は時間帯によってバラバラのようだ。6時台の7時近くのライナーだけは月初めの平日朝抽選券が配布され、場合によっては購入出来ない事もある。大昔は月初め平日の前日深夜から待つ人も見かけたほどだ。
そうかと思えば自分が利用していた10号車はセット券が売り切れることは殆どなく余裕で購入が出来、シートも二列に一人で乗車出来るのが普通だった。リクライニングシートを倒すことも可能だった。
それが11月末のダイヤ改正で大きな変化があった。自分が利用していた10号車は8号車に吸収され、出発時刻が10号車より早くなった。乗車率が低かったのは確かだし、車両が古いタイプだったのも確かだが理由はそれだけではないようだ。相鉄線のJR乗り入れや他の影響があるようだ。一説にはJRは小田原から通勤時間帯に特急を導入する可能性があり、その布石との説もある。
統合された8号車はもともとダブルデッカーの二階建て車両である。自分はあの天井が低いタイプは苦手。そしてボックス席だけの形状も避けたかった。然しそれでも乗るしかない。
今のところ出発時間はそれまでより早くなっているにも関わらず、到着時刻が遅くなることが殆どなのが不満である。恐らく経路が今までとは違うのではないかと思う。時刻通り動いて欲しいものだ。
あれから、2年の続き
入院病棟は2階にある。母の病室は4人全員外科の高齢の女性患者。隣は男性用病室のようだが、その隣は女性の病室だが内科の患者もいたように思う。夕食の時、冷温配膳車まで母の食事を取りに行くとき、名札と食事の内容が書いてあるので大体わかる。
母は初日の夕飯は既に時間が過ぎていたので何も食べていなかった。次の日は夕方自転車で向かった。初日に通った道だ。市街地から続く住宅街だが以前は農地が広がっていた郊外で今は大きな邸宅が多く街灯が少ない。闇の中を自転車で通う事が毎日の日課になった。
二日目の夕方、病院に着き守衛待ち受けの受付に見舞いの記録を書いて2階に上がったのは午後6時を少し過ぎた頃だった。夕食は午後6時、
配膳されて食べ始めた頃だと思った。病室に行くと母は布団を頭まで被っていた。食事は既に下げ膳されていた。食事をする意思がないということらしい。普通の病床では食事の介助はされないということらしい。廊下には未だ配膳車があったので慌ててそこまで行って母の食事を取り戻した。何とかして食事をしてもらわねば、その一心だった。然し母との意思疎通は細い細いものだった。食事ののったトレイを何処に置くかすらままならない。デスクサイドの小さな引出しテーブルに乗せ、刻まれた食事を口に届けなければならないのに母は布団を被ったまま。どうしたらいいのか。暫く座り込むことしか出来なかった。