Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

子供を殺させないために必要なこと

京都で起きた塾講師による小学6年生殺害事件に関係し、塾講師採用時の不手際(?)が指摘されている。

犯人である大学生は塾での採用時、履歴書は提出したがその際に窃盗及び障害での逮捕、そしてそのことによる大学停学処分中であることを黙っていた。またメンタルクリニックの通院歴もあったが、このことを塾には知らせていない(当たり前だ)。このことを上げてマスコミは塾が採用時に申込者のチェックすべきではないかと言っている。

結果論も甚だしい、と思う。

何がしかの犯罪歴を持つものは、教育機関(そもそも塾は教育機関にはならない、はずだが)には採用すべきでない、或いは働いてはいけないというつもりか?それも自主申告で。全ての犯罪歴を教育機関に開示するとでもいうならそれは実行可能かもしれないが、それを教育機関側に委ね身辺調査でも行えというのだろうか。

塾側も業界団体は一応、身辺の調査(とはいっても当然限界があり聞き込みレベル)を行うような事件の対策を述べたようだが、全くいい加減なことと思う。第一今は個人情報保護法施行後、出来る限り業務と関係ない情報は持ちたくない、知りたくないのが基本であるからだ。

問題なのはそのような事案を事前に良く塾側が知らなかったことではないだろう。犯人がこの塾で教えだしてからも多くの「サイン」が発せられていた。このことを見逃していたことのほうが本質ではないのか。

また自分としては大学、同志社大学の対応も問題が無かったのかどうか、気になっている。犯人が以前図書館で窃盗をしていたのは一回や二回などというレベルでは無く、数十回繰り返し行っていたと報道されている。また逮捕された当時その理由として「自分の財布も盗まれた」などといっている。恐らく彼にとってはこの窃盗はスリルを楽しむ日常の極ありふれた遊びだったのだろう。そういったことを大学はどの程度把握していたのか。きちんと警察には通報していたのだろうか。情状酌量を嘆願する書類にサインしたことを悔いている窃盗被害者の話が週刊誌に出ていたが、その中で大学はどのような役割をしていたのか。所属していた法学部ゼミは日常の応対の中で何かを観ていなかったのか?

そういった日常まわりから、観ていくことこそが再び惨劇を起こさせないことになるのだと思うのだ。

決して塾採用時に犯罪歴を調査(出来るとは思えない)が対策などではない。日々の話合い、打合せの中から対応していくべきではなかったのか。

窃盗、暴行事件の後、犯人は大学卒業後のことを考えると、望むような就職は出来ない。このため学生として塾講師になることが必要だと考えたのだろう。そして本採用が近づく中での生徒との確執。彼にとっては同志社大学在学中にその先を決めておく必要があったのにその計画がひとりの生徒によって無になってしまう。しかしだからといって殺害を、それも間違いなく犯人が特定されてしまう状況下で実行することは無い。実行前の準備には余念が無いにも関わらず、その後の証拠隠滅、アリバイ操作をせず、ただただ殺害するだけの計画性。この点からもかなり多くの「サイン」を発していたに違いないのだ。

それを塾は、そして大学はどう受け止めていたのか。受け止めた後何をしたのか。そしてしなくてはならなかったのか、こそが必要だと思う。

本当は親の、家族の責任を問うべきなのだろうが今回の事件では溺愛の母、家庭内暴力の存在らしいことしか伝わってこない。ここにも何かあるのだろうか。