Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

朝から塞ぎこむ

朝のニュースは、何処も自殺した校長先生の話。自殺にまで追い詰められた心中は察するに余りある、と言うお決まりの気持ちになりはするのだが、やはり釈然としない。亡くなってから、いや校長先生は犠牲者だ、教育委員会のほうがもっと悪いんだっていうその言い方、数日前の生徒、校長先生に対して言っていたことと同じです。
少なくとも責任ある立場の人たちがこういった追い詰められた状況から自殺をしてしまうことを後から「あの人はそれなりにやっていたんだから」的にフォローするの止めて欲しい。故人を偲ぶのは、よく知る周りの人たちがすること。果たさなかった責任はどうなるの?無くなるわけではなく混乱はより広がるのだから。
安易な世代論に迎合するつもりも無いのだが、この50台の社会的に責をになう人々、弱すぎませんか?本人からみれば、いいたいことはあろう、理不尽極まりない立場に追い込まれてしまった感も拭えないのではないかと思う。しかし生徒たちが連鎖反応的に自殺を選んでしまうのと同じに見えてしまうのはなぜなんだろう。