Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

淀んでる

何を今更だけど、ヤル気が起きない。仕事をするということの意味を改めて思うことが何度か。自分、家族が堂々巡りして止まらなくなる。
ふと仕事辞めちゃおうかという誘惑を感じることもある。しかし結果はだいたい見えている。周りにも色々あったが、辞めて良くなったケースは極々まれ。
もっとも酷いケースは娘の同級生のお父さんの例。
その方は元々都市銀行マン。いまもメガバンクの一つとして名前を残すその銀行を40を過ぎて辞した。直接的な説明は糖尿病で体力が落ち業務が難しくなったということだった。お嬢が幼稚園で彼の次男と同級生ということから知合い、海岸でジョギングが一緒になることもあり会えば話す程度にはなっていた。辞める数年前にマンションを購入したばかり、子供は双子を含めて4人と自身を入れれば6人家族。銀行の次はすぐに生命保険会社に就職した。恐らくこの就職は事前に渡りを付けていたものと思う。銀行で培った人脈、顧客リストを期待されて請われたのであろう。しかしこの生保、かなりのノルマの厳しさだったらしく3年ほどで辞めてしまった*1。各自が殆どが独立した事業主として激務だったようだ。銀行時代からの顧客を食い潰すと、その先の新たな顧客の掘り出しで躓いたようなのだ。糖尿病で体力が落ちたこともありしばらく自宅で静養した後、実家の農業を手伝ったりしていたという。子供たちはマンションに残しての帰省でこの時点からは実際に会うこと、話しをすることはなくなってしまった。実家の農業自体は順調だったようだが、すでに農業は弟が引き継いでおり実家での居場所はすでになくなっていた。この辺りは詳しいことは聞かなかったが都会に出て銀行でバリバリ働いているはずの兄が突然戻ってくるということで軋轢もあったと想像する。そのためこちらで再就職をしようということだが、なかなか40半ばの就職先は見つからない。家庭内での暴力もあったようで、のちに知ったのだが奥さんが家から閉め出されて警察に助けを求めたこともあったらしい。再就職もままならず、暴力は酷くなり別居することになった。子供の連絡先が変わったこの時点ではじめてぼくはただならぬ状況になっていると知ったのだった。彼は部屋に居るはずだが、まったく顔を会わせることはなくなっていた。しかし子供たちは彼には定期的に会いに来ていたようだった。この時点で彼が生活をどのようにしていたのかは分からない。収入は失業保険があったのだろうか。いままで6人で生活していたマンションに一人で暮らす寂しさは耐えがたいものがあたろうと思う。そして昨年の冬、日曜の朝、彼が布団の中で冷たくなっているのを発見された。父親に会いに来た子どもたちが見つけたのである。知り合って10年ほどしか経っていないが、こんな結末を迎えるとは残念でならない。幸いにも残された子供たちは皆道を外れることなく学校に通っているのが救いだ。
普段は気が付くことはないけれど、足元にはいたるところにぽっかりと穴が開いていてふと足を滑らせたが最後その深く暗い穴に落ち込んでしまうのだ。こんなことを思い出して少しでも前向きに行動しようとけしかける自分が居る。

*1:実はこの生保周りにいっぱい居るのだが大抵は2、3年で辞めてしまう。生存は厳しいようだ