Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

走る理由

昨晩は深夜にもかかわらず、10km以上走ってしまい少なからず躯に疲労が残った状態だ。当初クルマで本屋に行こうか(実際の目的はクルマで街を流すこと)というのを変更し、走ることにした。夜の街は、そして海岸線には特になんとはなくクルマを流している人も多い。なんでクルマに乗らずに走ったのだろうか。
まず、走ることで自己の確認ができること、安心できることがある。自分自身の躯を動かし、汗を出すことで躯を、いまを自覚することが出来、それが安心に繋がるように思う。いつも走っているコースのタイムや並走するジョガーをみることで、場合によっては自信につながることもある。
それから最近良く思うのだが、走行中は何も感じていないということは殆どない。何かしら考えていることが殆どだ。普段と違うのはそれが集中してできることのように思う。普段の生活の中では集中することが難しいように思う。特に多くの場合複数の情報が飛び込んで来ていてその中で何かを選択しそのときどき対応している。しかしこれはじっくりと集中しているわけではなく寧ろ最近は集中して考えることが出来にくくなりつつある。それが走っているときは出来るのだ。これは躯がそれを求めているようにも思える。走っているときは苦しいことが殆ど。残念ながらランナーズハイを感じることは殆ど、否まずなくて、毎回苦しい時間が続いている。このとき景色や考えに集中することでそのひととき苦しさを忘却することが出来る。これを有意識、無意識にしているように思える。
昨晩は帰路で、往路で猛スピードで追い抜いていったフェアレディZがまた戻ってきたのを目撃した。彼も夜の街を海岸線を何することもなく流していたのだろう。でもぼくは自分の脚で走れるだけは走ろうと思う。