Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

著作権には何がかけているのか

昨晩は少し早く仕事場を出て、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」の第6回公開トーク、「著作権には何がかけているのか -創造の円環を廻しつづけるために-」を聞いてきました。パネリストに竹熊健太郎さん、山形浩生さんが登壇するということで期待して行きました。二時間の予定でしたが余りに盛り沢山のためフォーカスが広がりすぎて今ひとつ深く話はなっていきませんでしたが、とても興味をもって耳を傾けられたのは事実です。もっと話題を絞って再度このメンバーでディスカッションしてもらいたいものです。
追記:
後半、話半ばにして時間が迫ってきたところ、確か山形さんが「もうそろそろ誰かがこうしちゃえっていえばいいんじゃないか」的なことをおっしゃっていました(曖昧な記憶ですが)。ぼくもそんな気がしています。但し、「こうしちゃえ」ということに法的な拘束力は殆ど無いということで。この日の話にあったように著作者といったってその分野において著作者の権利主張はかなり差があると思えます。最も厳しいのが音楽に関するものでしょう。映画も厳しいですが、その一部を例えばムービートレーラーとして宣伝に使われることに関しては寧ろ寛大であると思えます。小説、文章を生業とする方々もこの日竹熊氏が指摘したように問題が起きたら平身低頭、菓子折り持って謝罪をすることで有耶無耶になりがち、というかそういう業界の雰囲気が感じられます。写真は実は訴訟までになってしまうケースが少なくないので、厳しいかもしれません。はじめに上げた音楽、特にCDなどパッケージメディアになった著作隣接権に関しては、一部業界で30秒ルールだ、45秒ルールだといって短い時間での「引用」であれば見逃してくれる、お咎めなしというのは全く根拠?なくて少しでもその楽曲と判るサンプリングでも許さないという立場をとっています。マンガのようにある種トレース行為が技法として確立しかつてはほぼ慣例としてまかり通っていた分野と頑なにコピーを許さないと息巻いている分野で統一した結論を出そうというのが土台無理なんじゃないかという気がしています。