Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

十七回忌

昨日は弟の十七回忌の法要が行われた。

梅雨がどこかで道に迷っているあいだに日射しは暑く蒸し風呂のような天候のなか11時から寺院で家族6人で執り行われた。この寺は弟が亡くなって急遽墓を探したもの。当時は宗派にとらわれず購入することができたが、今は檀家になることが条件となっている。

当時は影も形もなかった娘二人と恋人だった妻とともに年老いた父と母。以前は亡くなったことなどすっかり忘れたかのように自然に夢の中に出てきたこともあったが最近は弟のことを想い出すとこも少なくなった。

当時のことを想い出す。7月5日のことだったが、この日も梅雨の合間の蒸し暑い曇天だった。午後4時すぎ研究室へ入り浸っていた私に珍しく伝言が残されていた。母から弟が事故にあったらしい、ということだった。その時点では特に動転することもなく、夜現場に向かうため家で待っているようにと事務連絡をたんたんと行った。

丁度その日、水曜日だったとおもうがアルバイト、家庭教師の初日であった。このアルバイトは大学の学生課から斡旋されたものでサボり、すっぽかしは許されないものであった。しかしまだ正式に採用されたわけでは無かったため相手先の連絡電話番号がわからない。すでに学生課は閉まっていてわかるのはそのバイト先宅までの地図のみであった。仕方なくバイクで今日の家庭教師の授業は中止してもらう連絡のために直接家までいくこととなったのだ。

このときの運転ほど怖かったものはない。

バイト先の家には電車で面談に行ったことがあった。その近辺はバイクで通ることがたまにあった。この記憶を頼りに行くことになる。まだ7時前で辺りは明るかったものの詳しくない道を記憶を頼りにバイクを飛ばした。出来る限り雑念は振り払おうとしたもののどうしても弟のことが気になってしまった。

父と母がうちに来たのは結局夜10時前、かなり道路渋滞で遅れていた。警察からすでに亡くなったという説明だったようだ。この時点では話の整理も何もわからず夜を徹して現場へ行くことだけを考えていた。

弟は岩手県三陸海岸に下宿していた。東京からは東北自動車道を飛ばしても10時間を切るかどうかという距離だ。

丁度その晩はプロ野球中継、横浜対読売、TBSでは松下由樹のドラマがテレビに流れていたのを覚えている。

深夜国見あたりで彼女、後の嫁さんに電話連絡をした。電話をしたものの詳しい状況は全く分らずただ事故にあって早く現場に行きたいということのみだった。

明け方、現場近くの峠をクルマを飛ばしていると靄のなかにニホンカモシカが道路を横断しているところに遭遇した。なにかの暗示のような気がした。

6時過ぎに警察へ行き安置された弟に対面したのだが、特に外傷はなく、また顔色も別段悪いとも感じずただただ寝ているだけのように思われた。首にひげの剃り残しがあるのが痛々しかった。

山の中腹にあるお寺で通夜を行い、荼毘に付した。

実家へ遺骨を持って帰るまでの3日は本当に暑く長く感じたものだった。