Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

インフォームド・コンセント

昨晩実家に電話した。今週末弟の命日ということで母に一緒に墓参りをしようというためだった。電話に出るとちょうどこの日、水曜日が父の診察日であったことを聞かされた。先週採血をしてその検査結果を元に診断されるのだ。
マーカー指数の数値はわずかに悪くなってはいたが検出誤差の範囲内。概ね変わっていないといえた。抗癌剤が毎日服用から3日に1回に変わった。母はそのことに不満のようだった。医師には余りキチンと診断しようという態度がみられないと感じているようだった。数ヶ月前の診察から余り信頼していないようだった。しかし一方では毎食後だった薬を、父が嫌がるので一日一回に減らしていたりもした。そのことを指摘すると母は、もう10年になる闘病で父も疲れていることを理由に挙げた。違う、疲れているのは母あなた自身だよと喉元まででかかったが言わなかった。3日に1回に処方が減ったことの理由を医師に尋ねたのかを聞いた。そんなことは聞けない、先生の機嫌を損ねるという。では誰に聞けばいいというのか。ぼくに聞かれたって困る。無論愚痴を聞いて欲しいのだろうが今の自分には余裕はなかった。聞くべき人に聞いて欲しい。言わなければダメだ、といった。
暫く黙ったあと母は電話を切ってしまった。
こちらから改めて電話をかけると暫くして父が出た。母は電話に出たくないという。父と再び処方について医師に問いただせという話になる。医師に嫌な顔をされるだろうから聞けない、という。それに医師を変えるということになったら他に頼るところもない、と。
結局昨晩は二度と母は電話に出なかった。母は不満があっても我慢をする人だ。しかし我慢をしてもそれが消えることはない。どこかでひっそりと身を潜めているだけだ。不平、不満はずっと残っている。それを何度も何度も聞かされてきた。そしてその性向は自分にも受け継がれていると最近富みに感じる。母の嫌な部分は自分の嫌な部分でもある。それが一層ぼくを苛立たせる。お互いがお互いの意見をぶつけ合い分かり合うという合意形成の未熟な自分に改めて見せ付けられて唖然とする。