Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

連休徒然

連休と云うと5月3日からの4日間だけの暦通りの祝日だったが、ざっと4月末からの事を記録しておく。
4月25日、金曜日。夕方会社の心理療法士との面談。2週間毎に調子等話をして状況報告している。相手は復帰3ヶ月過ぎて就業制限解除後の疲労を気にしている。心配してくれているのだが、焦り気味のよう。週末母の介護で休養が上手く取れない状況で、木曜日辺りに毎週疲労を訴えるものだから心配してくれてはいる。然しながら、このままではまた倒れてしまうのではと云う気持ちが強く言葉の端々にそれを感じた。座して死を待つつもりはないですとは答えたが、然し現状具体的な対応策は母の介護を何とか軽くすることしかなく、それも今後は徐々に負荷が大きくなることが予想される訳だ。そんな中で具体的な対処法を面談の中で提示することは難しい。心理療法士としては自分の云い方が“座して死を待つ”ように聞こえたそうで、そうではないと言って面談は終わった。少々ネガティブな気持ちで面談を終えた。
この日はこれで直帰。急ぎ帰宅したのは7時。夕食を終えて風呂に入り弾丸バス旅行の準備を急ぎ行う。8時半自宅を余裕を持って出る。8時59分、湘南新宿ラインに乗車。
10時過ぎ、池袋駅着。東武デパート、12階レストラン街でトイレ。高速バス、けせんライナーは池袋23時発。バス会社の新しく出来た待合室を探すがなかなか見つからずやっとビルの3階に見つけたものの10分ほどの休憩出来ず。
22時50分、東京芸術劇場前のバス停に向かう。広場では古書祭をやっていた。週末に向けてけせんライナーは増発されていてこの日は金曜日ということもあり3台。ぼくは2月から予約を入れたので1号車で比較的新しい車両であった。
これで3回目のけせんライナーになるが毎度一関で目が覚めるともう二度寝は出来ず。大船渡、盛のサンリアショッピングセンター前には朝7時5分着。ほぼ時刻表通り。
急ぎ盛駅に行き、顔を洗い三陸鉄道南リアス線の時刻表確認。7時20分過ぎの列車(盛発7時22分)が有る。急ぎこれに乗って釜石に向かう。乗車時に往復券を希望したら一日乗車券、1500円となった。それも手書きである。
4月に全線開通したばかりで未だ未だお祝い気分一杯の車内であった。高校生の乗客が殆ど。予想以上にトンネル内が多い。「あまちゃん」のエピソードも実は南リアス線でのトンネル内のものだそうだ。1時間15分ほどで釜石着。そのまま折り返して戻る。復路は団体客が乗車して来てまた賑やか。
10時前盛に戻る。レンタカーを10時から予約してあったのでぴったりの時刻。去年と同様白のトヨタ、アクア。去年からゴルフを乗っているのでいきなりワイパーを動かしてしまう始末。手馴らしを兼ねてドライブ、陸前高田まで行く。
相変わらずダンプカーと砂埃が酷い。瓦礫の山は減ったが、代わりに海岸線陸地の大規模なかさ上げのためのプラントが出来ていた。それは連句千高田の平野の南側の斜面を削り、その土を巨大なベルトコンベアーで海岸線に運び津波に飲まれないように高く土地を持ち上げるのである。余りの大きなベルトコンベアーで昨年丁度来た時にお披露目された奇跡の一本松が小さく目立たなくなってしまっていた。
一通り陸前高田を回って、大船渡に戻り、朝食。モスバーガーでてりやきバーガーのオニオンフライとポテトのセット。それからスーパーでお供え用のビールと仏花を買って三陸町に向かう。
途中道の駅で友人に贈り物。ホタテに汐雲丹、イクラのセットをクール宅急便で送る。
事故現場の山道へは途中道路工事で入れず迂回して遠回りして行く。父と母が建てた交通安全祈願の石像は未だしっかりと残っていた。近くの閉鎖した大学の池から花に生ける水を頂戴しお供えをした。父の冥福と、母の行く末を祈願して今年の供養とした。
未だ陽は高かったが時間の余裕を見て温泉に入ることにした。近場では有るが、昨年は今年同様連休初日にも関わらず休業していた温泉に再度今年も行ってみた。今年は無事営業していて入ることが出来た。大きな池があったがそこでチョウザメの養殖をしていて驚く。風呂は余り温泉ぽい感じは薄い。地元の人の湯と云う感じで、値段も安く(400円)、汗はさっぱりとしたので充分だ。体重を図ると65kgと大幅に減っている。不思議だ。
その後5時を過ぎたので大船渡に戻る。昨年も偶然入ったのだが、地元で有名な大盛りの食堂、坂本食堂に行く。有名なカツカレー980円を注文。流石の量、盛りであったが、温泉で体力を使ったからか何気なく食べ切ってしまった。
レンタカーの返却は19時。帰りのバスは21時20分。三陸鉄道の事を思い出していればもう一度早めに乗り込んで時間潰しが出来たのだがそこまで頭が回らず。大船渡周辺の夕方の桜をカメラに写しレンタカーを返却する。平均燃費、28.3km/Lと少し去年よりも向上した。
サンリアスーパーは店内が寒過ぎて居られず。盛駅まで戻り待合室で時間潰し。
21時過ぎ肌寒い中、バス停に立つ。サンリアの営業終了で照明が落ち暗くなる。何処からともなく人が集まってくる。その数7人くらい。概ね若い人が多い。休みに東京に遊びに行くのだろうか。予定の20分を5分ほど過ぎてバス到着。行きより遥かに古い車両だった。走り出して直ぐにその思いは正しい事を思い知らされる。ロードノイズからギャップを乗り越えた時の振動が大きい。東北自動車道に乗らないとこれでは眠れないことを覚悟する。
結局東北自動車道でも上河内SAでの運転手交代で目が覚めてしまったのが3時前。眠っていたのは2時間ほどか。池袋には5時半着。もうすっかり明るく鴉が我が物顔で闊歩する中バスを降りる。寝不足と同時に気分の高ぶりを感じる。マクドナルドで珈琲を一杯ゆっくり飲んで朝一番の湘南新宿ラインで帰路に着く。
地元は連休恒例の祭りで朝7時だと云うのにバスを待つ人だかりが出来ていた。夏が近いんだと実感。今回は天候に恵まれた。昨年は小雨が降る中で夜の冷えがきつかったので、今年はダウンジャケットもデイパックに入れて行ったが使わずに済んだ。家に戻り朝刊をざっと読んで酒を飲み眠りに着いた。
目が覚めたのは午後3時過ぎ。未だ未だ明るい。母に報告を入れようと思いデジカメのデータをタブレットに写して実家に家族で行くことにした。ちょっと高い回転寿司、ジャンボおしどり寿司。母にタブレットの画像を見せ説明したが地蔵をみて泣いていた。これで3度目になることはすっかり忘れていた。
28日、月曜日。平日なので仕事に行く。但し夕方土曜日に行けなかった分を月曜夕方の診察に変えて貰った。タブレットを持参し担当医にも画像をみてもらった。
帰宅すると三陸から送ったホタテなど海産物が届いた旨の礼の電話連絡が入る。
29日、火曜日、昭和の日。朝からはっきりしない曇り空。午后ジョギングに出るが既にポツリポツリと雨粒が落ちて来ていた。昼ご飯を朝食を一緒にして量が少なかったこともあり途中でラーメンを食べてしまう。これで走れなくなるかと思ったが意外に脚は良く動く。平塚海岸迄特に問題無く走り切れた。平塚ではDIYのユニディに寄って実家の庭に植える野菜を物色する。トマトの接ぎ木を試してみようか。17kmほど走る。
夜から腹の調子が悪くなる。躯が冷えたのか刺すような痛みが腹に出る。夜明けごろ猛烈な下痢。30日は一日仕事を休んでしまった。がっかり。昼間は起き上がることもままならない状態になってしまう。夕方、ケアマネージャーさんからメール。この日、30日は母がケアセンターに見学に行く日だった。その報告である。それによると意外にも母は通所のデイサービスを受けることを了解したようだ。ケアマネージャーとしては母の気持ちが変わらないうちに契約をしてしまいたいとのこと。その為急ぎ3日の昼過ぎに実家を訪問して説明、契約をしたいのでぼくにも同席して貰えないかというものだった。ぼくとしても少しでも早く通所支援を受けられるようになって欲しいので渡りに船。母の気持ちはコロコロ変わるので急いだ方が良いのは承知であった。この日家にいて良かったと思った瞬間だった。
1、2日は何とか仕事に行く。特に2日は休みを取る人も多かったが何とか仕事に集中した。2日の帰りにバーに寄る。こちらには三陸から海産物を送ったのでそのお礼もあった。丁度イギリス人女性と一緒になり軽く話す。なんとか英語は通じたみたい。
3日、土曜日、午後ケアセンターと契約の日。心許ないので嫁さんにも同席して貰った。出席はケアマネージャーと地域包括支援センターの担当代理()担当が土曜日お休みだった)、介護主任の3名とぼくら。途中母は抵抗を示し出したのだが、取り敢えず1ヶ月だけでもと云い含めて契約は締結した。やれやれ。ケアマネージャーらが帰宅後、改めてお嬢らを迎えに行ってクルマで食事を取ることにした。夕飯は久し振りに天麩羅。帰りにデイサービスに必要なものをスーパーで買い出し。
帰宅後夜ジョギングを軽くする。夜道を眼鏡をかけずに走る。非常に危ないが、緊張感を持って走る。
4日、日曜日、緑の日。朝7時起床。珍しく朝から活動。お嬢らと映画を見に行く。映画はクレヨンしんちゃん。久し振りだ。評判が高く、脚本も良いと云うので前売り券をチケットショップで買っていく。感想はまずまず、かな。原恵一の時代ほどのインパクトは残せなかったが映画好きには色々なオマージュがちりばめられていて探す楽しみに溢れている。
午后嫁さんが眼鏡を作ると言うので駅まで出かける。夕飯は坦々麺。
5日、月曜日、こどもの日。嫁さんは朝から美容院。ぼくはこの日初日となる母のデイサービスデビューを見学しにケアセンターに行く。4日から母は行きたくなくなったようでお腹が痛いだの、留守電を入れて、5日の朝も欠席する旨連絡をしていた模様。しかし迎えのバスに乗って行ったそうだ。センターでjは見た目楽しそうにやっていたがどうなることか。

午后小雨が降る中ジョギング。昼ご飯は中途半端になり、途中で東京チカラめしのカレーライスを食べてしまう。江ノ島鵠沼海岸まで走るがかなり降ってきて躯が冷える。
6日、火曜日、緑の日の代休。嫁さんは大学のオープンスクール。午后ぼくは献血に出かける。帰りにラーメンを食べに吉村家に寄るが久し振りに凄い行列に出会いメゲテ踵を返して帰る。帰宅してやはり家系ラーメンが食べたくなりクルマでまつり家まで行って食べてしまう。カロリーオーバー。
今年の連休はジョギングは敢えて抑えた。自分が思う以上に体力が減っていると感じ始めたからだ。疲労が蓄積し出すとそうは簡単に回復しない。母のこともあった。思いがけずと云うか、急転直下通所支援を受けることになり嬉しい誤算になったがこのまますんなりと行くかどうか分からないのが正直なところである。心配事は減らないが、少し確実に進んだ気はしたので充実した連休だったように思う。