Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

鬱な話ばかり

途中覚醒と言うほどはっきりとは覚醒していないが、何度か目が覚める。腕、肩が寒くて目が覚めるため熟睡感がない。よって睡眠の質、量ともに良い状態にはないな。
最近、孤独、無縁という言葉を良く耳にする。NHKが発信源なのだが昨今の不況が社会の深い部分に影響を与え破壊しつつあるということだ。
日曜夜はNHK特集で無縁死、一昨日はクローズアップ現代でフードデザート(スーパーなど地域中核の食糧供給源が撤退し特に生鮮食料品が手に入り難い状況を砂漠に例えている)、9時のニュースウオッチ9では無縁社会を特集し続けている。昨晩は「呼び寄せ老人」(これは今に始まったものではないと思うが)。
鬱になる話ばかり。世の中どうなっちゃうんだろう?不安をいたずらに煽られているのだろうか。これが真実なのだろうか。いや、良いことだって同じくらい起こっている、どこかで言う。
無縁社会で大きな影を落とす婚活の話。朝日新聞の夕刊で定期的に落語の噺を解説しているのだが明烏の回で江戸時代の婚活状況について触れていた。江戸時代今より遥かに男子のほうが多く、女子1に対して男子2、そして一説には江戸には人足から何から人が集まるので女子1、男子3ともいわれるほど男子余剰状態だったそうだ。だから結婚することができたのは今より圧倒的に少なく厳しく、それを補完する目的も遊郭にあったという。
また先日のNHKの女子力という番組では女性側からみた婚活を話していた。ライターの白河桃子さんがバブルの頃の学生時代から就職後の友人たち、そして自分の婚活について話していた。白河さんも言っていたが、同世代では集団、グループに属することが幸せの意味として感じていたと。だから年齢を同じくして結婚しなかった人はその後結婚しても同じグループに属することはないと。今はそのようなことは出来ず各々が自分自身の幸せを見つける必要があるというな話だったように思う。
思うに自然の成り行きで結婚するという形態が多かったのは戦後の高度成長期から90年代のバブル経済期という長い時間軸からしてごく短い期間にあったにすぎないのではなかろうか。戦後結果的に男子の数が減ってしまい復興の中で所得倍増やら経済発展をさせる原動力として夫婦、家族をそれも核家族化させて個別に住宅を持たせることにより大きな需要を作り出すことに成功した、と。だから寧ろ結婚についていえば元に戻りつつあるくらいに考えたほうが良いんじゃないのか、とさえ思う。