Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

相変わらず不調続く

25日、木曜日。課長と面談。彼は再来月退職するのだが、きちんと話をしておきたかったので這ってでも会う覚悟で出社。水曜日にその旨をメールしておいた。昼過ぎに時間調整出来て直接状況を話した。然し乍らこの後のことを考慮して部長とも面談しておくべきとのことで急遽金曜日中に部長とも面談することになった。正直この日もとても辛い状態だったので躊躇われたが仕方が無かった。

会議2つは何とか乗り越えた。

それと健康管理室にも連絡し、担当の臨床心理士にも面談を打診。この日のうちに面談が出来た。カウンセリングしてみることを打診されるが、以前自分で調べた限りカウンセラーとの相性など問題は多そうな感じで躊躇われる。

26日、金曜日。午前9時半に部長と面談、状況説明。その後はひたすら苦しみから耐える訓練のような状態。

27日、土曜日。朝母の診察の日。且つその後は自分の診察の日である。朝9時実家に向かう。母は外で待ち構えていたが、薬の服用状況を見るため改めて実家に入り、薬の空き袋を確認。一日分、無かった。

11時母の診察終了、処方箋を薬局に持って行き日にち毎の分包を依頼して母とはそこで分かれる。その脚で自分の病院に行く。かなり混んでいる。先週の土曜日が休診だったからだろうか。母を病院に送った後に診察券だけを出しておいたにも関わらず診察は12時半過ぎ。仕方無い。

医師にはこの苦しい一週間を説明。上司と面談をしたことを話す。

帰り際薬局を指定される。謎。

ケアマネージャーからメールあり。母は何も云っていなかったが金曜日に実家を訪問してくれていたようでその報告だった。メールのやり取りは何回かしているが直接は会っていないこと、何か介護のヒントが見出せればと思い会いに行くことを打診。快く了解してもらった。午後4時頃ということで一旦帰宅。嫁さんと買い物。ちょっと遠いクルマでの移動で間に合うか微妙だったが道路が空いていて間に合った。

午後4時過ぎケアセンター。6時まで母のことについて話を聞いたり、こちらから現状を報告したりした。自分に知らないことを色々聞いていて驚く。

28日、日曜日。快晴。献血センターから成分献血、血小板の依頼があり11時に予約を入れていた。ギリギリ間に合う。4サイクルで午後1時近くまでかかった。その後は人ごみに居るのが耐えられなく直ぐに帰宅。横になっていた。夕方少し外に出て散歩。疲れ取れず。何処まで頑張れるか。

きつかった

今週は月曜日が敬老の日で休みにも関わらず、精神的に肉体的に厳しい日々だった。一番は抑うつ状態がずっと続いていたこと。焦燥感に不安が気になって落ち着かない毎日。動悸、手先の痺れが続き仕事場にいたたまれない気持ちにさい悩まされた。流石に金曜日に電話連絡して急遽診察を無理無理入れた。待ち時間2時半かかった。処方箋は大きくは変わらず服用が増えたのでこれで様子を見て行く。少しは楽になるだろうか。
今週は月曜日から本当に苦しいかった。

*[徒然]連休徒然

先週、11日辺りから体調がおかしい。頭痛に焦燥感が出ていた。11日は仕事を休んでしまい、12日も吐き気が有り午前休んだ。午后自分が主催する会議が有りどうしても行かねばならず躯を引き摺るようにして仕事に出た。
仕事が終わり帰宅したがやはり調子はおかしく、薬を飲んで早めに床に着くも眠れなかった。3時前に床を出て酒を飲むも寝られず朝を迎えてしまった。徹夜である。睡眠導入剤を飲んでいるのに効かないとは初めてだった。
13日、土曜日はそのまま朝病院へ向かった。マクドナルドで珈琲を飲んだ。9時前で空いていた。早く行ったものの待合室は混んでいて2時間ほど待った。医師にそのこと、徹夜になってしまったことを話したが処方はもう少し様子をみることとした。この週は上司が早期退職に応募したことが知らされ、ショックだったこと。また、同僚から職場でのいじめの相談を受けたことなどがあった。将来に渡っての漠然とした不安も絶えず感じる中でのことが影響を与えていたのだろうか。
帰宅後、午後はダルさでゴロゴロとしていた。友人から夜軽く近所で飲まないかと誘いを受けた。なんとなくOKした。躯的には厳しいのだが、少しでも話をしてみたい気がしたのだ。お嬢と嫁さんは買い物に出かけると云う。セールをしているとのことであった。上のお嬢は土曜日仕事であったが早上がりで後から合流するという。自分は暫く横になって休んでいた。然しそれだけだと自分が駄目になってしまうような気持ちがふつふつと湧いてきた。元気が出て来たのかもしれない。軽く汗を流しておきたかったのでジョギングを軽くすることにした。手早く家の戸締りをして海岸線に出る。雲が多く涼しい秋の夕方。然し西の空には黒い雲が広がり出してきた。西に向かい市の境で折り返し8㎞ほど走ったが復路はかなりの雨に降られた。家に着くころはとっぷりと暗くなっていた。暗い部屋に一人入り、シャワーを浴び友人にメールをした。土砂降りに雷と飲むのは難しい、延期するかと打診した。しかし友人の病院では雨は降っていないという。
午後7時半過ぎ嫁さんとお嬢たちが帰って来た。雨に濡れている。大分雨は止んできたそうだがやはり雨は降っていた。それが友人との約束の8時過ぎにはすっかりと上がって星まで出て来ていた。結局友人とは近所で飲むことにした。前回と同じ店。ここは全面禁煙で煙草を吸わないぼくと友人には飲み屋で臭いが付かないのは助かる。それに落ち着いている雰囲気も良い。
この日は親の事や家族の事を色々話した。病気や介護もだ。それは自分自身の将来についても含まれている。友人も院長としての責任を下ろしたいそうだ。
午後11時半前に散会。ビール(スタウト)2杯に、ジントニック2杯と軽く飲んで帰宅。流石にこの日は眠れた。
14日、日曜8時半起床。もっと寝ていようとも思ったが起きてしまった。朝から快晴。上のお嬢は大学時代のクラブの公演に向けての練習で朝から大学へ行った。午后ジョギング。炎天下と云えたが体調は悪くないので走ることとした。流石に陽射しは強いものの日影の風は気持ち良い。13㎞ほど走る。帰宅してシャワー。暫く横になって休憩。1時間ほどして実家の母に連絡。夕食を食べることにした。練習に行ったお嬢は早めに帰宅すると云う連絡があったので合流して行くことにした。目当ての和食の店は準備中とかで入れず、これで2回目だ。恐らく板前さんが少なくなって店が回せなくなっているのではないかと思う。近くの漁師料理の店に入る。いつも店の前は通るが入るのは初めて。民宿のような作りだったが、食事はなかなか美味しくしっかりと刺身、寿司、揚げ物を楽しくいただけて皆満足だった。その分値段は張ったが。母を実家に届け、お嬢が旅行で使ったカバンを押し入れに戻して帰宅。いつもよりも早く8時には帰宅出来た。寝るのに少し時間がかかった。
15日、5時起床。この日は駅前駐輪場の定期券申込書の配布の日。5時半家を出て駅に向かう。休日と云うのに皆よく集まる。地下に二列で列を作りひたすら待つ。6時前申込書配布開始。お嬢たちの分も含めて3枚入手。帰りにセブンイレブンに寄ってアイスコーヒーを買って帰り、テーブルでゆっくりとのみ薬を飲んで二度寝11時再度起床。本当は10時に起きるつもりだったが遅くなった。この日、月曜日は母の通所デイサービスの日である。見学に行くことにしていた。独り自転車で向かう。晴れているが雲が多い。ケアセンターに着くと昼食の前の準備中だった。口の周りの運動をしていた。母はこちらに気が付いたか分からない。入口に居る自分から一番離れた奥に居た。然し周りの人と楽し気に話していることは看て取れた。この日は敬老の日と云うこともあり、お昼は豪勢だったらしい。秋刀魚の蒲焼丼、しらすのかき揚げ、茶そば、月見とろろに抹茶のゼリー。途中食事を喉に詰まらせたらしく痛みを訴えるお爺さんが居て一瞬緊張が走る。背中をさすられて幾つか吐き出していたが無事だったようだ。学生さんらしい実習生が二人いて、職員と間違われた。食事が終わることセンターを後にした。担当のケアマネージャーさんは不在だったが突然来たので仕方ない。
嫁さんからメールで食料品を買い出しに行くと云うので自転車で合流することにした。曇りがちだが蒸している。生協で嫁さん、お嬢と合流した。その後帰宅後飲料水を3箱買い出しを頼まれクルマで改めて買い出しへ。その他御遣いもあり疲れてしまった。休憩後自転車で散歩に出る。ジョギングだと疲労を残しそうだったからだ。途中ラーメン屋に寄ってしまった。前回寄った時はスープの味が落ちていてがっかりしたのでそれが“ブレ”だったのか確認したい気持ちが強く気になっていた。結果スープは以前の美味しさであった。チャーシューも厚く旨みが有り柔らかく文句なし。しかし夕食前に食べ過ぎだったと反省もしてしまった。
こういう日に限って夕飯は焼肉。食べたいがお腹は半ば一杯。苦しい。夕食後風呂でたっぷりと汗を流してカロリー消費に努めたが後の祭りか。睡眠はここ数日では一番意外にも気持ち良く出来た。

USBメモリーが認識されなくなった

以下、表題と内容が合っていないのだが、自分も全く同様の状況になり、やっと解決出来たのでメモしておく。

“USBディスクのフォーマットについて”

https://discussionsjapan.apple.com/thread/10145724?start=0&tstart=0

自分の場合もBoot CampWindows7をインストールしようと8GByteのUSBメモリーを用意してBoot Campアシスタントを使用したのだが、途中Windowsのインストールディスクがアップグレード版だったために中止せざるを得なくなった。ここで困ったのがWindows用のドライバーが入ったUSBメモリー。Boot Campアシスタントでフォーマットされるのだが途中で終わってしまい、その後はMacOSXで認識出来ず、Windowsでも容量0バイトとなりエクスプローラーでも認識出来なくなってしまった。Windowsの管理ツールのディスクの管理でデバイスは認識出来るもののパーティション自体が容量0でフォーマット出来ず手を出すことが出来ない。当然ながらMacOSX側ではデバイスと認識されずUSB端子に接続しアクセスはするもののデスクトップには出て来ないし“ディスクユーティリティ”にも認識されない。一瞬ハード的な障害の可能性(手の出し様が無い)も疑ったが、これはなんとかかんとか出来ると信じて悪足掻きをしてみた。

まず、定番だがLinuxに助けを求めた。ubuntu 10.04のCD-RでノートPCを立ち上げそこからディスクユーティリティを使って中身を見ようとした。USBメモリーを接続してdmesgを見ると確かにデバイスは認識されている。然し乍らディスクユーティリティからはデバイスが認識されないのだ。本命のGPartedでも同様だった。一時認識したこともあったが、やはり容量0バイトでパーティションがグレイアウトして削除もフォーマットも出来ない状態だった。

さてここで困った。GPartedで何とかなるかと思っていたのだが、ここからは暫く冷却期間として放置しておいた。

起動時に問題のUSBメモリーを挿しているとPCが立ち上がらない現象があった。このことからMBRが書き込まれているらしいと目処をつけた。これ自体も削除してしまわなくてはならないだろう。そこでもっと低レベルのツールが必要かと考えた。思い出したのが昔懐かしいfdiskだ。上記のubuntuの動作に若干の不安定さを感じていたためARM版のdebian wheezyが動いているLinux boxに接続して作業してみた。dmesgからUSBメモリーのデバイス名を見つけこれを指定してfdiskを起動する。まずはパーティションの削除をする。その後に新たにパーティションを全域に作成。フォーマットタイプをFAT32に設定し、書き込みをする。これで fdiskの作業は終了。

この後にWindowsUSBメモリーを接続するとなんとすぐに認識するではないか。あれ程うんともすんとも云わなかったのに小躍りしたくなった。フォーマットをするよう促されてするよう促されてまよわずクイックフォーマットを選択、あっさりとフォーマットが終了する。良し良しとデスクトップをみるが認識さえ無い。あれれ???

何度目の徒労であろうか。然し大分前進してきた思いはある。もう少しの筈だと思い出し改めてfdiskから作業をはじめる。Windowsに接続して通常のフォーマットにしてみたところ、これがビンゴ。やっとこさFAT32で認識されて書き込み、読み出しが成功した。

Windows上のディスクドライブ系のユーティリティは幾つか試してみたがどれも良くてデバイスの認識はかろうじてするもののその先のパーティションテーブルの操作、削除等は出来るものは見つけられなかった。結局昔から在るfdiskで何とかなったから良いもののもう暫く悩んだに違いない。

因にMacOSXにもfdiskコマンドはある。然し乍らデバイス名の確認がちょっと難しいのが難点。

 

週末徒然

6日、土曜日。朝から横浜まで献血センターに行く。金曜日に突然電話で血小板成分献血の依頼を受けた。白血球の型が自分と合う患者さんが必要としているらしい。要請は3回目になる。前回は昨年の12月だった。まだ病魔と闘っておられるのかと思うと協力しないわけにいかない。
11時に予約制でセンターに行く。蒸し暑い。かなり混んでいて、機械が古いとかで時間が掛かる。終わったのは午後1時半頃。何か湿度も高く汗だくで疲れた。
帰宅前に外食する。伝説のすた丼…久々で美味しく満足して帰宅する。
それから休憩して家族揃ったところでショッピングセンターに行く。お嬢が取り置きしたバッグがあるとのこと。ついでに嫁さん用のデスクと椅子を購入する。もう一件、別のショッピングセンターに行き帰宅。この日は母の様子は見に行かなかった。そうそう夕食にケンタッキーをおかずにすることになり急遽自転車で買い出しすることになった。
7日、日曜日。深夜からテニスの結果をツィートで追っかけて夜更かししてしまった。10時起床。午後嫁さんの買い出しに付き合い雨の中クルマで出掛ける。仕事で使う物を注文してあった。雨は本降りになる。食料品売り場にも行き買い出しして帰宅。すると雨脚が弱まり実家の母の様子を見に行くことにした。ジョギングにしようと思ったが空模様が予想し辛いので自転車に傘持っていく。
母は元気そうだった。ただ相変わらず同じ話の繰り返し。夕食の準備をしていないようだった。これは僕等が一緒に夕食を食べに行くことを予想してあったせい。2人で夕食を買い出しに歩いて家を出る。丁度雨は上がっていた。久しぶりに親子で歩く。素直に落ち着いて話が出来た様に感じる。普段だと話が矛盾だらけで同じ話の繰り返しでイライラが募るばかりなのだが、この日はイライラせずに小さくなった母の背中に手を添えて歩く。すぐ近くにある店で鰻丼を買って戻る。母の夕食を見届けて実家を後にする。既に暗くなってきていたが髪を切って帰る。

夏の終わり

8月後半、大雨の西日本に比べれば思いの外だが雨がちですっきりしない天候が続く。今日は朝から肌寒ささえ感じ長袖シャツを着て仕事場に行く。

先週末は海水浴場 までジョギングした。しかし小雨降る中、夏の気配は人の少ない海の家ぐらい。ギャルや刺青だらけのオトコどもも夏の風物詩と云えなくも無いが。

残暑

盆休みが終わった。

今までならお盆が終わると、甲子園が終わるころには秋の気配がしだし、暑さも和らぐのだが、ここ数年そんな気配がしないように感じる。自分が弱っているんだろうか。残暑というには厳しすぎる暑さが10月まで続くのだろうか。

15日、金曜日は恒例の駅前駐輪場の定期券申込書の配布を早朝5時に並んで手に入れ帰宅。昼間はぐたっと必要最低限の行動しかせずに午後4時過ぎからジョギング、14㎞ほど。実家の様子を見に行く。このクソ暑い中窓を閉め切って汗をかいている母に口酸っぱくエアコンを使うように言い実家を後にした。その後江ノ島鵠沼海岸を目指すも汗でバテバテ。足が中々前に進まず結局ほとんど歩いてしまった。

16日、土曜日は友人と呑みに行く予定にしていたが体調が優れず(暑さに参ってしまったか)、急きょ延期を申し出て自宅に引きこもる。前日までのジョギングによる疲労も大きい。朝起きた時の脚の怠さと言ったらなかった。自宅のサーバ、vmware ESXi 5.5にWindows VistaをインストールしようとしたがWindows updateが上手くいかずイライラ、結局この日は諦めた。WUをかけると120件ほどパッチが上がるのだが、パッチを充てるとブルースクリーンになってしまう。ちょうど今Windows8.1で起きている問題のような状態であった。

17日、日曜日。休みもこの日で終わり。久し振りに青空が広がるいい天気だった。それまでは晴れてはいても時折通り雨が降り湿度が上がり不快指数が高い毎日だった。午后ジョギングに海岸線に出る。月曜日に疲労が残らないよういつものレギュラーコースを早めに折り返してのジョギング、10㎞弱。帰宅しシャワーを浴びて実家に家族4人(お嬢二人が揃って家に居たのこの日はだけ)で母と食事に出かけた。夕食はとんかつ。久し振りにゆっくりと5人で食事が出来て良かった。