Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

週末徒然

6日、土曜日。朝から横浜まで献血センターに行く。金曜日に突然電話で血小板成分献血の依頼を受けた。白血球の型が自分と合う患者さんが必要としているらしい。要請は3回目になる。前回は昨年の12月だった。まだ病魔と闘っておられるのかと思うと協力しないわけにいかない。

11時に予約制でセンターに行く。蒸し暑い。かなり混んでいて、機械が古いとかで時間が掛かる。終わったのは午後1時半頃。何か湿度も高く汗だくで疲れた。

正義の行いの厄介さ

介護をしている人の話を聞きたくて介護家族のつどいに参加してみた。本当は会費が必要なものであったが、やはりつどいは仕事と介護を両立させている訳ではない*1らしく平日の開催が殆どであった。しかしこの二月は神奈川県下で市町村主催の無料の介護家族のつどいが日曜にあり、参加してみた。その時の話はまた別途書こうと思う。

そこに参加した際のつてで改めて平日のつどいにもお試しとして*2参加することが許された。

考えれば介護中の家族にとってデイサービスのある平日はひととき安息の時間を取れる貴重な時間だ。仕事が休みの休日は洩れなく介護に罹りっきりな訳で、どうしても平日開催になってしまうのだろうと思う。

結果二月はつどいに二回参加したわけだ。

ここで数名の方々の介護経験(継続中)の話を聞くことが出来た。只自分のように働きながら(今は休職中だけど)介護をしている人はおらず、また全員が女性だったのには落胆した。やはり男性が介護をしているのは少ないのであろうか。然しながら予想とは違った気が付いた点があった。

それは皆一様に自分が介護をしているのは、相手がどうであれ正しいことをしている、善行をしているという動機だった。むろん姑の面倒を図らずもすることになってしまったとこぼす人もいるのだが、しかしそれでも介護をすることで何かを得られるのだという根拠の無さそうなことを信じていることは伝わってきた。

そしてその正義の行いは、正義であるが故自分が完遂しなければならない使命感のように思っていること。自分にはそれが出来る筈だという思い込みを言葉の端々に感じたのだ。

これは女性、男性に分け隔てなく持つように思う。自分が介護という正しいことをしているのだから、それを拒んで介護しない人は成し遂げれば得られたであろう“高徳”をみすみす逃してしまったとさえ思っているのだ。

これはある種マゾヒスティックなものさえ感じる。世の中、大抵のことは、自分は正しいことをしているという思い込みが行動原理の根底にある。初めから悪事をしようとしてする訳ではなく、傍からみたら可笑しな錦の御旗を掲げていることは少なくないのだということ頭のどこかに覚えていた方がいい、多分。

*1:仕事と介護をしている人にとって平日のつどいの開催に出席するのは無理があるのだろう。一体その人たちはどこで会うことが出来るのだろう。

*2:本当は会費が必要だが、まずは非会員として

介護の孤立を防ぐ、とは

先日、自殺を防ぐことを目的としたセミナーに参加した。保健所の主催だった。

そこでは現代社会を「おまえはひとりで生きて行け社会」とし、

  • 社会的構造からくる多重苦
  • 存在・生存が否定される
  • 孤独になる
  • 他との関係が断絶して孤立する
  • 自死念慮が湧いてくる
  • 自死の実行

と言っていた。そしてこれを克服するために「おまえはひとりで生きて行け社会」から農村型社会の「共生社会」への転換を訴えていた。

www.asahi.c

介護は孤立し易い、と思う。作業は孤独で、正解が分からない。介護を二人ですれば二通りの介護があるだろう。そして各々の物差しであれが足りないこれが足りないと言いたくなる。自分のしている介護が正しいと思いながら。

そして一方の介護のやり方を受け入れ難く、結果自分のやり方を優先させて孤立するのではないかなと思う。

孤立は自分で望んでなるわけではないと思う。ただ他の人のやり方を受け入れられず結果孤立状態になっているんじゃないかな。自分の場合はそうだと思う。

ただ孤立を良しとしている訳じゃない。孤立はいろいろと拙いとは思っている。助けを借りたり、もっと良い方法があるんじゃないかとも思っている。模索をしている。

地域包括支援センター、介護施設、保健所に連絡をとってみた。介護家族のつどいにも参加してみた。ケアマネージャー、ソーシャルワーカーに会ってみた。

でも働きながら介護している人にはなかなか巡り合えない。

探し方が悪いのかな。

正解が欲しいわけじゃない。答えが欲しいというより、介護をするものとして共感したいのだけど。

再開

ここ暫くブログは放置していた。

ツイッターSNSも殆ど触らず。たまに見ることはあっても書き込むことは殆どしなかった。出来なかったという方が正しい。

それでも少しずつだが再開してみようかという気になってきた。

ぼちぼち、気張らずに。

ダウン

ちょっと耐えられない状況に落ち込んでしまった。

ここはやはり一時撤退をして体制を整えてからの方が良いと判断した。状況は一層厳しさを増しているが日に日に増す体調不良では改善はこの3週間見込めない。ギブアップ。

相変わらず不調続く

25日、木曜日。課長と面談。彼は再来月退職するのだが、きちんと話をしておきたかったので這ってでも会う覚悟で出社。水曜日にその旨をメールしておいた。昼過ぎに時間調整出来て直接状況を話した。然し乍らこの後のことを考慮して部長とも面談しておくべきとのことで急遽金曜日中に部長とも面談することになった。正直この日もとても辛い状態だったので躊躇われたが仕方が無かった。

会議2つは何とか乗り越えた。

それと健康管理室にも連絡し、担当の臨床心理士にも面談を打診。この日のうちに面談が出来た。カウンセリングしてみることを打診されるが、以前自分で調べた限りカウンセラーとの相性など問題は多そうな感じで躊躇われる。

26日、金曜日。午前9時半に部長と面談、状況説明。その後はひたすら苦しみから耐える訓練のような状態。

27日、土曜日。朝母の診察の日。且つその後は自分の診察の日である。朝9時実家に向かう。母は外で待ち構えていたが、薬の服用状況を見るため改めて実家に入り、薬の空き袋を確認。一日分、無かった。

11時母の診察終了、処方箋を薬局に持って行き日にち毎の分包を依頼して母とはそこで分かれる。その脚で自分の病院に行く。かなり混んでいる。先週の土曜日が休診だったからだろうか。母を病院に送った後に診察券だけを出しておいたにも関わらず診察は12時半過ぎ。仕方無い。

医師にはこの苦しい一週間を説明。上司と面談をしたことを話す。

帰り際薬局を指定される。謎。

ケアマネージャーからメールあり。母は何も云っていなかったが金曜日に実家を訪問してくれていたようでその報告だった。メールのやり取りは何回かしているが直接は会っていないこと、何か介護のヒントが見出せればと思い会いに行くことを打診。快く了解してもらった。午後4時頃ということで一旦帰宅。嫁さんと買い物。ちょっと遠いクルマでの移動で間に合うか微妙だったが道路が空いていて間に合った。

午後4時過ぎケアセンター。6時まで母のことについて話を聞いたり、こちらから現状を報告したりした。自分に知らないことを色々聞いていて驚く。

28日、日曜日。快晴。献血センターから成分献血、血小板の依頼があり11時に予約を入れていた。ギリギリ間に合う。4サイクルで午後1時近くまでかかった。その後は人ごみに居るのが耐えられなく直ぐに帰宅。横になっていた。夕方少し外に出て散歩。疲れ取れず。何処まで頑張れるか。

きつかった

今週は月曜日が敬老の日で休みにも関わらず、精神的に肉体的に厳しい日々だった。一番は抑うつ状態がずっと続いていたこと。焦燥感に不安が気になって落ち着かない毎日。動悸、手先の痺れが続き仕事場にいたたまれない気持ちにさい悩まされた。流石に金曜日に電話連絡して急遽診察を無理無理入れた。待ち時間2時半かかった。処方箋は大きくは変わらず服用が増えたのでこれで様子を見て行く。少しは楽になるだろうか。
今週は月曜日から本当に苦しいかった。