Killing Time 2nd

備忘録、日々の徒然想いを残します。

保険の解約

母のがん保険にかかる保険料が無視出来なくなってきた。25年以上前に父と母が一緒に契約したものだ。約款を見てみたのだが、65歳以降では給付金が大幅に減額されるのがわかった。

正直、入院費が増加してきて、また収入である年金の額もマクロスライド方式で増えるのは微々たるもので保険料の負担感は大きくなりつつある。

そこで保険料を減らすよう、解約を考えたのだった。

早速コールセンターに電話する。メーカーのサービスセンターより遥に早く繋がる。実店舗が無い保険会社だから当たり前か。

母の保険解約の件であることを伝え、状況を話す。本人の直接連絡による解約表明、書類記載が難しいことをゆっくりと努めて冷静に説明した。病状確認のため介護保険証の写しが必要とのことだったが、介護保険は昨年入院してから利用していない。このため現時点では更新手続きはしておらず丁度この3月1日で切れていた。その代わりに母の診断書を送れという。診断書と言ったら数千円はかかる書類だ。月五千円を節約しようというのにこれは受け入れ難い。病院の診療請求書では代わりにならないか問うた。するとオペレーターは担当者から再度検討したうえで明日回答するということになった。このご時世、認知症の契約者は五万と居るだろう。保険の支出見直しもせずに延々と支払い続けているケースも多いと思われる。柔軟な対応をしてもらいたいものだ。

 

週末徒然

6日、土曜日。朝から横浜まで献血センターに行く。金曜日に突然電話で血小板成分献血の依頼を受けた。白血球の型が自分と合う患者さんが必要としているらしい。要請は3回目になる。前回は昨年の12月だった。まだ病魔と闘っておられるのかと思うと協力しないわけにいかない。

11時に予約制でセンターに行く。蒸し暑い。かなり混んでいて、機械が古いとかで時間が掛かる。終わったのは午後1時半頃。何か湿度も高く汗だくで疲れた。

正義の行いの厄介さ

介護をしている人の話を聞きたくて介護家族のつどいに参加してみた。本当は会費が必要なものであったが、やはりつどいは仕事と介護を両立させている訳ではない*1らしく平日の開催が殆どであった。しかしこの二月は神奈川県下で市町村主催の無料の介護家族のつどいが日曜にあり、参加してみた。その時の話はまた別途書こうと思う。

そこに参加した際のつてで改めて平日のつどいにもお試しとして*2参加することが許された。

考えれば介護中の家族にとってデイサービスのある平日はひととき安息の時間を取れる貴重な時間だ。仕事が休みの休日は洩れなく介護に罹りっきりな訳で、どうしても平日開催になってしまうのだろうと思う。

結果二月はつどいに二回参加したわけだ。

ここで数名の方々の介護経験(継続中)の話を聞くことが出来た。只自分のように働きながら(今は休職中だけど)介護をしている人はおらず、また全員が女性だったのには落胆した。やはり男性が介護をしているのは少ないのであろうか。然しながら予想とは違った気が付いた点があった。

それは皆一様に自分が介護をしているのは、相手がどうであれ正しいことをしている、善行をしているという動機だった。むろん姑の面倒を図らずもすることになってしまったとこぼす人もいるのだが、しかしそれでも介護をすることで何かを得られるのだという根拠の無さそうなことを信じていることは伝わってきた。

そしてその正義の行いは、正義であるが故自分が完遂しなければならない使命感のように思っていること。自分にはそれが出来る筈だという思い込みを言葉の端々に感じたのだ。

これは女性、男性に分け隔てなく持つように思う。自分が介護という正しいことをしているのだから、それを拒んで介護しない人は成し遂げれば得られたであろう“高徳”をみすみす逃してしまったとさえ思っているのだ。

これはある種マゾヒスティックなものさえ感じる。世の中、大抵のことは、自分は正しいことをしているという思い込みが行動原理の根底にある。初めから悪事をしようとしてする訳ではなく、傍からみたら可笑しな錦の御旗を掲げていることは少なくないのだということ頭のどこかに覚えていた方がいい、多分。

*1:仕事と介護をしている人にとって平日のつどいの開催に出席するのは無理があるのだろう。一体その人たちはどこで会うことが出来るのだろう。

*2:本当は会費が必要だが、まずは非会員として

介護の孤立を防ぐ、とは

先日、自殺を防ぐことを目的としたセミナーに参加した。保健所の主催だった。

そこでは現代社会を「おまえはひとりで生きて行け社会」とし、

  • 社会的構造からくる多重苦
  • 存在・生存が否定される
  • 孤独になる
  • 他との関係が断絶して孤立する
  • 自死念慮が湧いてくる
  • 自死の実行

と言っていた。そしてこれを克服するために「おまえはひとりで生きて行け社会」から農村型社会の「共生社会」への転換を訴えていた。

www.asahi.c

介護は孤立し易い、と思う。作業は孤独で、正解が分からない。介護を二人ですれば二通りの介護があるだろう。そして各々の物差しであれが足りないこれが足りないと言いたくなる。自分のしている介護が正しいと思いながら。

そして一方の介護のやり方を受け入れ難く、結果自分のやり方を優先させて孤立するのではないかなと思う。

孤立は自分で望んでなるわけではないと思う。ただ他の人のやり方を受け入れられず結果孤立状態になっているんじゃないかな。自分の場合はそうだと思う。

ただ孤立を良しとしている訳じゃない。孤立はいろいろと拙いとは思っている。助けを借りたり、もっと良い方法があるんじゃないかとも思っている。模索をしている。

地域包括支援センター、介護施設、保健所に連絡をとってみた。介護家族のつどいにも参加してみた。ケアマネージャー、ソーシャルワーカーに会ってみた。

でも働きながら介護している人にはなかなか巡り合えない。

探し方が悪いのかな。

正解が欲しいわけじゃない。答えが欲しいというより、介護をするものとして共感したいのだけど。

再開

ここ暫くブログは放置していた。

ツイッターSNSも殆ど触らず。たまに見ることはあっても書き込むことは殆どしなかった。出来なかったという方が正しい。

それでも少しずつだが再開してみようかという気になってきた。

ぼちぼち、気張らずに。

ダウン

ちょっと耐えられない状況に落ち込んでしまった。

ここはやはり一時撤退をして体制を整えてからの方が良いと判断した。状況は一層厳しさを増しているが日に日に増す体調不良では改善はこの3週間見込めない。ギブアップ。